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~マントル細胞リンパ腫闘病記~ 15.親父逝く(2022年6月15日~10月19日)

しばらく前から、親父の体調がすぐれない。
便秘のために食べられなくなり、腹が張って動けなくなる。
たまに便が出て、調子が戻る。
近くのかかりつけ医で検査をすると、どうも大腸癌で腸閉塞を起こしているようだとの見解だ。
かかりつけ医には色々世話になっていたが、腸閉塞が進行して、いよいよ家での養生が出来なくなった。
90歳を超えた親父の体力も考慮すると、手術で患部を切除するのは耐えられないだろうとのかかりつけ医のアドバイスもあり、緩和ケアのA病院を紹介してもらった。

2022年6月15日 (水) 親父入院

1時半頃に実家に着く。
2時半に病院の迎えが来ると言うので、少し早めに来た。
親父と顔を合わせた時は、嬉しそうな顔をして、思ったより元気そうな印象だったけど、すぐに腹が痛くてつらそうな様子になった。
かかりつけ医の見立てでは、腫瘍マーカーの数値が50と高いことから、大腸癌が腸を塞いできているんだろう、との母親の話。
予定より早く、2時頃に迎えが来た。慌てて用意して、病院の車について行く。
10分くらいで着いた。近いから楽だ。
親父は、PCRやら色々検査して、かなり時間が経ってから病室に入った。
で、早速、点滴の針を刺されていた。
四人部屋で、すでに二人入っていて、半分死んだような爺さんだった。
まあ、緩和ケア病院だから、そうなるか。
少し話して、もしかしたらこれが最後かと、手を握って病院を出た。
母と寿司を食べて帰る。
さて、どれだけ保つのかな?

6月18日 (土) 病状説明

またまた軽く眼痛。ええ加減にしてくれ!
左目が調子悪いけど実家へ。
病状について、先生の説明を聞く。
レントゲンとCTも撮っていて、CTでは、腸閉塞の様子が分かった。
レントゲンでは、片肺に影があって、肺癌だろうとのこと。ただ、小さいので、大したことはないとの話だった。
で、親父と話をして、個室が空いたら入れてもらうようにした。
緩和ケア病院だから、内視鏡検査はしないとのこと。
直接見ないので、おそらくこうだろうの話だけで、どうもスッキリしない。
病院嫌いの親父は、4日ほど入院しただけで、少し調子が良くなるとさっさと退院してしまった。

6月30日 (木) 市民病院で検査

実家から連絡。
A病院の説明がどうもはっきりしないので、業を煮やした母親が、市民病院を紹介してもらって、内視鏡検査をお願いした。
しかし、90歳超えてるから、まず腸内をきれいにするための下剤に耐えられないらしい。ましてや麻酔なんて、とても怖くてできない、そうだ。
で、血液検査とレントゲン、CTの結果からの所見は、マーカーの数値は肺癌の影響。腸閉塞部には、癌はなし。
A病院の所見と違うやん。
良くなって食べられたり、悪くなったりの繰り返しになる。
悪くなった時は、今の病院が面倒見てくれるということだった。
まだまだしぶとく生きるみたいだ。

7月14日 (木) 眼痛

また、眼痛。最近は、大体3,4日ごとに痛くなる。
お陰で左目は霞んで違和感がずっと続く。何とかならんかね。

7月19日 (火) 診察

今日は自分自身の診察。
CT検査では、異常を検出できず。血液検査も変わらず。
先生の説明によると、この病気は、B細胞が何らかの異常で癌化するものだが、全てのB細胞が癌化するわけではない。
ブルトン型チロシンキナーゼ(BTK)は、B細胞の分化や活性化を担っているが、癌化を促進したりはしない。
環境の影響とか何らかの異常点をいくつか経て、遺伝子異常か何かでB細胞が癌化した。
ただし、異常は一時的なもので、今まで継続して起こっているわけではない。
そして、今も癌化したB細胞が体内に隠れている。
薬をやめると、これが増殖して再発する。
どこかに隠れている癌化したB細胞をやっつけてしまえば治るが、今は全滅出来ないので、薬で抑えている状況だ。

7月20日 (水) 突然の痒み

昨夜の午前0時頃に、両手がやたら痒くて目が覚める。
ハンドクリームにかぶれたのかと、手を洗う。
少しマシになっかと思うと、今度は、脇の下も痒くなって寝ていられない。
また、ゴソゴソ起きて、ムヒを塗る。
しばらくは治まったが、結局、痒くて1時間おきに目が覚める。
段々と痒みの範囲は広がって行く。
いきなりこれは、何なんだ!
朝起きて、仕事する頃には、ほとんど痒みは無くなった。不思議だ。

7月21日 (木) また痒み

昨夜0時頃にまた、手が痒くて目が覚める。
洗ってもダメ。
うとうとしてたら、今までと違うところが痒くて目が覚める。たまらん。
朝起きたら、痒いところは赤くなっている。
関節部だ。股関節、ひざ、ひじ、手首に手指の根元の第四関節。
手は全体に少し腫れている。

赤くなった右手首

朝、通勤で電車に乗る頃には、痒みを忘れてた。

7月22日 (金) またまた痒み

昨夜は午前2時頃、脇の下の痒みで目が覚める。
前の晩よりは、少しマシか?というくらいの痒みだ。

脇の下の赤み

やっぱり、たびたび目が覚める。
少し範囲は広がったけど、ほとんど脇のみで、あとは左膝に赤斑と痒みが出ただけ。
これも、朝起きて、7時半頃には治まった。
病院の担当医に電話したけど、忙しいみたいで、症状を伝えてもらって、折り返し伝言電話をくれた。
とりあえず、様子見。
症状が続いたり、酷くなるようなら、また連絡しろとの事。
ま、そうだろうね。
実家から連絡あり。
親父がしんどくてたまらんと言うので、かかりつけ医に連れて行ったら、結局入院。
前の緩和病院は、コロナ禍で入院できず、また別のB病院に。
帰りたいと言うところを、検査するから月曜まで我慢するように言い聞かせて入院させたそうだ。
こっちは睡眠不足で、見舞いに行けない。
こういうのって何故か重なる。

7月23日 (土) 痒みが消えた

昨晩は、痒みは出ず。
痒みが嘘のように消えた。
何だったんだろう?

7月25日 (月) 退院

実家からの連絡で、今のB病院は、小さくて対応も悪いからと、さっさと退院させたそうだ。
もともと今日までの入院のつもりだったから、まあいいのかな?

7月29日 (金) また入院

親父のへこんだ腹が、今度は腸の形のまま膨らんできたそうだ。
で、また入院。
今度はまた違うC病院。
毎週毎週、違う病院への入退院で、疲れないかね。

7月30日 (土) 病院の説明

昨日入院したC病院の担当医の説明を11時から受ける。
CTの画像解析等から、大腸と小腸の繋ぎ目の盲腸部分で、閉塞が起きている。
恐らく盲腸に癌が出来て、それが閉塞の原因と思われる。
閉塞部を取って大腸と小腸を繋げば、楽になるはず。
90歳を超えているが、これくらいの手術なら大丈夫だと思う。

麻酔医や他の外科医とも相談する必要はあるが。
母は、切らずに家に引き取りたい意向。
俺は、手術して楽にさせてやりたい。
切らずに家に帰っても、どうせ同じことを繰り返して、また入院騒ぎになるのが目に見えている。
来週早々に内視鏡検査するというので、その結果も踏まえて、本人の意思を尊重するという事で、先生にお願いする。
病院によって、対応が全然違う。
90歳を越えたら内視鏡検査もしないといった病院もあったのに。

7月31日 (日) 眼痛

また眼痛。週に1,2回はなる。
翌日は、見にくくてかなわん。
昨日、実家に行ったからか、疲れている。
午後は、昼寝する。

8月2日 (火) 内視鏡検査結果

夕方、実家からTELあり。
内視鏡検査をしたら、大腸のあちこちに癌が出来ているそうだ。
とりあえず、閉塞部を取って腸をつなぐ手術はすることになった。
こういうのって、直接見ないとレントゲンやCTでは分からない。
手術日が決まったら、また連絡してもらうことにした。

8月4日 (木) 眼痛&足がつる

朝5時過ぎに、眼痛と両足がつった。
参った。
出社日にこんな事になるか?
実家より連絡あり。
明日4時から医師の説明があるから、来いとのこと。

8月5日 手術の説明

3時過ぎに実家に着いて、少し休んでから病院へ行く。
担当医師の手術が予定より遅れて、4時半からの説明になった。
内視鏡検査の写真を見せてくれた。
ほとんど塞がっていた。
大腸の他の部分には、転移は見つからないとのこと。

前の母親の話とは違うじゃないの。
まあ、無い方が良いけど。
閉塞部を切除して腸をつなぐ、もし転移があっても手を付けない、という手術方針の説明だった。
ただ、つないだ部分の縫合不全が起きる可能性があることを承知していてもらいたいとの説明を受けた。
親父本人も、今回の手術内容を了承しているとの事。
手術は、10日の午後に決定。
麻酔をかけるのに1時間、手術2時間、麻酔を解くのに1時間の合計4時間の予定。

8月6日 (土) 疲れている

疲れが取れてないのか、右脇がピリピリ痛い。
ロキソニンを飲むけど、あまり効かず。鬱陶しい。
昼寝を1時間の予定だったけど、起きられなくて、2時間寝る。
やっぱり疲れてる。

8月10日 (水) 手術立ち合い

午後から半日有給休暇を取って病院へ行く。
手術前に会わせてくれた。
車椅子に乗って、手は手袋をされていた。
母と話をしたが、声に力が無くろれつもハッキリ回らず、何を言っているのか分からなかった。
手術室に入ったので、一旦帰る。
4時に病院へ。予定は5時だったらしく、かなり待たされた。
手術が終わって、病室に移されるところで会えた。
まだ、麻酔で眠っていた。
特に問題もなく、予定通りに終わったとの事。
呼吸が弱いので、人工呼吸器をつけているのと、心臓の力も弱いので、血液を送る機械もつけているとの説明だった。

8月11日 (木) 病状の連絡

実家より、病院の担当医から連絡があり、呼吸はかなり戻ってきているけど、念のためまだ機械は付けたままにするそうだ。
順調に回復すれば良いが。

8月13日 (土) 肺水腫

午前に実家より、病院からの連絡で、呼吸がかなり回復したので、人工呼吸器を外したとの事。
順調じゃないか。
夕方に、また連絡あり。
人工呼吸器を外したが、また弱くなったので、再度つけた。
肺に水がたまる。
しかし身体では脱水気味なので、点滴での水分補給を調整しながら診ているそうだ。
肺に水がたまり始めたら、ちょっとやばいか。
母は、入院させたのは、間違いだったのでは、手術させたのも間違いだったのではないかと、自分を責めている。
が、半分は慰めてもらいたいからのような感じだ。
何もしなければとっくに死んでいたんだから、気に病むことはない、と励ました。

8月14日 (日) 両肺とも肺水腫

実家から連絡。
肺の水は、両方になった。
両方とも管を入れて水を出しているそうだ。
17日のリモート面会は無理そうだから、病室の窓からでも本人を見れないか、病院に相談するとのこと。

8月15日 (月) 面会

面会してきた。ナースステーション隣の4人部屋に入っていた。
お腹は順調だけど、呼吸と血圧、肺の水が問題。
肺の水は、少なくなってきている。
人工呼吸器と昇圧剤は、まだ必要。と先生の説明。
軽い麻酔を点滴で入れているが、話しかけると目を覚まして、こっちの話にうなづく。
何か話そうと口を動かすが、管が入っているので声が出ず、何を言いたいのか分からず。
手足はぱんぱんに浮腫んでいる。
切除部について聞くと、まだ検査結果が出ていないとの事。

8月17日 (水) 妻も面会

今日は、妻も連れて3人で面会。
別棟の部屋で、タブレットでリモート面会。
wifiが弱くて、音は途切れる、絵もカクカクで話にならない。
そのうちに、主治医の先生が面会をさせてくれた。
今日は、声をかけても目を覚まさず眠ったまま。
肺の水は少なくなってきているが、肺炎が問題。
血液に細菌が入って、血小板が少なくなっている。
何処かで出血があると止まらなくなるそうだ。
いよいよ最期か。
7時過ぎに帰宅。
妻の勧めで、親近者が死んだ時の色々手続きの本を注文した。

8月19日 (金) 軽くギックリ腰

掃除機を片付けようと持ったら、左腰を軽くやってしまった。
こんな時に、これは鬱陶しいぞ。

8月20日 (土) 病状連絡

実家から連絡があった。
腹の調子は良いそうだ。
肺炎を起こして、こっちが大変みたいだ。
人工呼吸器のチューブは、2週間しか入れておけないから、来週水曜日に、気管切開するか判断が必要になるそうだ。

8月22日 (月) 再手術

午前に、親父の担当医から連絡があった。
血圧が下がってるので昇圧剤を使っているが、これは、血管を細くして血圧を上げる薬。
で、血流が悪くなって縫合部が治らず、便が漏れている。
再手術で対処する必要がある。
同じところを開腹して、便を取って洗うドレナージというのをやって、上に人工肛門を付ける。

便の細菌等で癒着があるかも、肺炎が悪くなるかも等のリスクはある。
人工呼吸器のチューブは2週間程度の想定で作られている。
これは、何日という決まりはないので、様子を見ながら。
と言っても、良い方向には行かないだろうから、気管切開になるんだろうな。
母親と相談して、やってもらう事にする。
手術前に母親が面会できた。
意識はハッキリして、うなづいて、何か話そうと口を動かしていた、涙を流していたそうだ。
4時から緊急手術。
便汁は、お腹一杯に拡がっていて、10リットルの水で綺麗に洗浄した。
その上で、人工肛門を付けた。
あとは、本人の頑張り次第。
夕方、上記の手術内容について、担当医から直接連絡があった。

8月23日 (火) 病状確認

連絡がないので、夜にこちらから実家に電話する。
夕方、病院から連絡があって、小康状態。
まだ、呼吸も血圧も弱い。
このまま、監視を続けるとの事。

8月24日 (水) 今日明日?

11時頃に実家から電話があった。
病院から連絡で、心不全の状態になりつつあり、今日明日だろうとの事。
とりあえず、待機。

8月25日 (木) 心不全

心不全の状態になったので、循環器の先生にも診てもらって、連絡すると言いながら、連絡は来なかった。
まあ、連絡がないということは、何とか持ち堪えてるという事だろう。
と思っていたら実家から連絡。
抗生物質の種類を変えたら少し良くなった。
しかし、予断を許さない状況には変わりはない、だそうだ。

8月26日 (金) 呼吸安定

昼前に実家から連絡あり。
血圧は50前後。
呼吸は安定してきているので、酸素量を40%にしたが、しんどそうなので50%に戻した。
今週は、この状態で行きそうだ。との病院よりの報告があったとの事。

8月30日 (火) 見納めか

診察で病院にいる時に、母親から電話あり。
親父の担当医より連絡で、見納めになるかもしれないから、息子さんも来たほうがいいと言われたそうだ。
病院から、電車で行く。駅で待ち合わせて、病院へ。
ほとんど死人のような、土気色。
呼吸は、酸素を70〜80%にしている。血圧は、45〜75くらい。
だが、昇圧剤も効かなくなってきているとのことで、投与をやめるか判断を求められた。
母親と相談して、投与をやめることにした。
親父は、呼びかけても、触っても反応無し。
足先は、壊死しているのか、赤黒く変色している。
腕は、手まで浮腫んでパンパンだ。
駅まで送ってもらって帰ってくる。

8月31日 (水) 血圧低下

今朝も眼痛。いい加減にしてくれ。
実家から血圧がいよいよ下がってきたとの連絡で、母が病院に行く。
25〜45位まで下がっているそうだ。このままズルズルゆっくり下がるのか、いきなり下がるのかは、分からない。
今晩もつかどうかも分からないそうだ。

9月2日 (金) 親父逝く

7時半頃、病院からそろそろあぶないと呼び出しがあったと、母親から連絡がはいった。
会社に連絡して忌引休暇届けを出して、大急ぎで用意して、実家へ。
死に目には間に合わず。
8時1分に静かに息を引き取ったそうだ。
遺体は10時に葬儀屋が引き取りに来るとの事で、一旦実家に戻る。
遺体は、客間に安置することにして、準備してから病院へ。
時間通りに葬儀屋が来て、遺体を運び出す。
葬儀屋の段取りが良すぎて、担当医とゆっくり話す時間がなかった。
で、実家に遺体を安置してから、葬儀屋との打ち合わせ。
これが色々あって時間がかかる。

カタログを見ながら葬儀のオプションを決めていく。
棺桶、飾りつけ、弁当やら、何にでもオプションがある。
結局、家族葬でも、しめて100万円ほどになった。
母親の兄弟が、早速来てくれた、夜には近所の人も。
午後からは、親父の遺品整理。
いろいろあって、汗だくになった。
夜は、ゆっくり実家で食事。
久しぶりに酒を飲んで、親父を偲ぶ。
結局、かかりつけ医の言う通り、手術には耐えられなかった。
初めから、患部摘出ではなく、人工肛門を提案してくれたら、もう少し生きられたのではないかと、少し後悔が残る。

9月3日 (土) 通夜

通夜。
2時過ぎに親父の兄弟が来て、顔を見てくれる。
葬儀屋が3時半に遺体をとりにきて、葬儀場に行く。
納棺士が体を綺麗にして、着替えさせてくれる。さすがプロ、手際が良くて、綺麗になった。
18時からの通夜は10人。近所の人も焼香に来てくれる。
お経は、浄土宗のお坊さん。
戒名を決めるのに、生前の故人の話とかする。
浄土宗は、戒名に必ず空の字を入れるそうだ。
帰ってツマミながら、少し飲んで寝る。
夜中に、廊下を歩く人の気配がして目が覚める。
親父か?

ちょっとゾゾっとなった。

9月4日 (日) 告別式

早い昼食の素麺を少し食べて、12時頃に葬儀場に行く。
昨日のメンバーに、親戚を加えた14人。
会社関係からも弔電を結構いただいた。
弔電も、プリザードフラワー付きや線香付きなど、色々ある。
13時から告別式。
お経と焼香の後、バスで火葬場に。
火葬場はデカくて、すごく立派だ。
火葬している間に、料理を食べる。
時間になって案内が来て、火葬場に行く。
骨を拾って骨壷に入れる。
喉仏は、分骨用の小さい壺に。
あとは、適当にみんなで拾って大きい壺に。
緑に色がついた所があったので、係の人に聞いてみると、添えた花などの色素だそうだ。へー。
葬儀場に戻って、初七日の法要をして終わり。
初七日の法要も、当日にやってしまうのは合理的で、助かる。
夕方、4時半頃に実家に戻る。
そんなに動いてはいないけど、疲れた。

9月5日 (月) 役所まわりと相続品整理

午前から早速、区役所へ。
入り口に案内の人がいたので、どこに行けばいいのか聞いたら、まず3番窓口へ行けと。次に6番、で、3階にも行けと。
各窓口で番号札取って待たされて、書類を見せたり提出したり、別の提出書類を書いたり。
こういうのって、ひとつの窓口で一括してできるでしょ。
DXしなさいよ。ほんとに面倒だ。

で帰って、午後は相続の話。
土地面積や、株、現金、預貯金、その他の確認。
前からリストアップしておけと言っていたから、ちゃんと作っていたと思ったら、そのリストがすごくいい加減で、こっちの分かる資料がなかなか出てこない。
半分けんか腰になりながら、なんとか配分を決めた。
夕方前に、家に帰る。疲れた。
最近は、疲れたばっかりだ。

9月6日 (火) 在宅勤務

なんとなく疲れて、何もする気がしない。
会社のメールチェックと、弔電のお礼のメールを送る。

9月7日 (水) 戸籍謄本はまだ

実家の母親からは、毎日電話がある。
本籍地の役所に死亡届がまだ届かないから、戸籍謄本がまだ発行できないとの事。
こういうのもDXで直ぐでしょ。お役所仕事だわ。

9月9日 (金) 戸籍謄本届く

謄本が届いたと実家から連絡あり。
謄本が来たから、年金事務所に手続きに行ってくるとの事。
で、話してたら、まだ数百万円あると言い出した。
この前、全部出したはずだろと喧嘩になる。
よくよく確認したら結局それは古い資料で、先日の金額で会っていた。
疲れる。

10月11日 (火) 疲れが残っている

9月に父が死んでバタバタしてたので、疲れているのか倦怠感が強い。
疲れると帯状疱疹の時のピリピリした痛みが出てくる。
体の末端だけでなく、胸にも赤斑が出てくるようになった。

胸にも赤班が出てきた

10月18日 (火) インフルエンザ予防接種

近くのかかりつけ医で、インフルエンザの予防接種を受ける。
明日、四十九日で副作用がちょっと不安だけど、ま、いいか。

10月19日(水) 四十九日法要

幸いにも予防接種の副作用は出ていない。
朝から実家に行って準備して、午後から四十九日の法要。
これからは、お坊さんに実家に来てもらっての法要になる。
1時間ほどのお経と説法を少ししてもらって、足がしびれた。


遺産相続に関して、相続税の申告と土地・家屋の登記変更は、自分でやった。
遺産は、美術品などのややこしいものは無くて、土地・家屋、現金、株くらいだったし、遺産の分割協議もすんなり合意できたので、それほど困ることはなかった。
また、相続税申告書の作成には、WEBに無料で自動作成してくれるものがあり、大変助かった。
便利な時代になったものだ。
相続登記申請書も、相続税申告書と重複する部分もあったりして、何とか作成できた。
両方とも、市役所に持参し、提出前にチェックしてもらった。
これが結構混んでいて、予約すると1カ月先になったりした。
作業をサッサと初めて、時間的に十分な余裕が必要だと感じた。


以上で、15.親父逝くは終わりです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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