牧師夫人の徒然なるままに(七〇五)「だちょうは」(ヨブ39・13~18)

 他人が必ずしも自分と同じ考えや能力を持っているわけではないことを認識する時、人は初めて独り立ちの出来る大人へと踏み出せるのではないでしょうか。
 私はヨブ記のダチョウの箇所が大好きです。ダチョウは人間に置き換えると何とも情け知らずのバカ者です。卵を産んでも温めることもせず、足で踏みつけても平気、野獣の餌食になることも気にしない、いわば「親業の失格者」です。
 聖書はそんなダチョウを「神がこれに知恵を忘れさせ、悟りをこれに授けなかったからだ」と記しています。創造主が、あえてそんな非情なことをなさったとしたら、それはそれで受け入れるべきことでしょう。
 若い頃、高ぶっていた私は、自分に出来ることが他人にできないと苛立ちました。もし、このダチョウのような親に出会っていたならば、厳しく断罪して、めった切りにしてしまっていたでしょう。(実際に被害にあわれた方がいたら本当にごめんなさい)
 今の私は「馬とその乗り手をあざ笑う」(18節)と記されている素晴らしい俊足を称賛します。それは創造主が、ダチョウに与えた素晴らしい能力です。先に記した愚かさを忘れさせるヒーロー性です。人を評価する時は愚かさをけなすより、創造主が与えてくれた優れた能力を正当に認めるべきなのです。

安食道子

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