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メッセージ要約2023.9.10「やもめの純粋な信仰」

○マルコ12章38~44節

今日は、信仰を失い行いを誇っていたパリサイ人と献金を捧げたやもめの信仰が対比される箇所から「純粋な信仰」「喜ばれたやもめの信仰」というテーマで見ていきたいと思います。

1.パリサイ人の姿 (人からの評価を第一とする歩み)

イエス様は、パリサイ人たちが信仰を失い霊的な暗闇の中にいることを5つの点で批判されました。

1つ目が「長い衣を着て歩き回ること」律法学者のステイタスシンボルを着て「我は律法学者である」と人々に見せびらかして歩いていたのです。

2つ目が「広場で挨拶されること」用もないのに出かけて人々の注目を浴び挨拶されることで自分を誇るために、神様から与えられた役割立場を利用していたのです。

3つ目が「会堂で上席に、宴会で上座に座る」人々に注目され尊敬されたいという自己顕示欲の表れです。
4つ目が「やもめたちの家を食い尽くし」やもめとは未亡人のことで、当時、経済的に自力した生活していくことは困難でした。パリサイ人たちがやもめの家を食い尽くしたとは一体どういう意味か二つの説があります。①貧しいやもめからも宮への納入金を強制的に徴収していた②亡くなった主人から財産の管理を任されたことを良いことにその中から不正の利益を貪っていた。どちらにしても、立場を利用して騙し取り私服をこやしていました。

5つ目が「見栄を張って長く祈ります。」

自分が信仰深いかを見せるために美辞麗句を連ね、知識があることを誇って長く祈ったのです。

そしてイエス様は最後に言います。「こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」彼らの信仰生活の動機は神様のためではなく自分のためです。彼らの姿を見て私たちは裁くことは簡単かもしれませんが、彼らの弱さが自分自身にもあると認めるならば学びが深まります。

奉仕をする中で、初めは神様への感謝が動機でスタートしますが、次第に人からの評価を得るために奉仕をしたりしてしまうことがあります。

理由は私たちは目にみえない世界より目に見える世界を優先するからです。目に見える人からの評価に縛られてしまうと、私たちは目に見えない神様との関係が見えなくなってしまうのです。

旧約聖書にダビデ王がいますが、この点で大きな過ちを犯しました。

部下ウリヤの妻であったバテシェバと姦淫の罪を犯し妊娠させましたが、彼を殺し合法的に妻として迎えて証拠隠滅を図りました。ダビデは人の評価を気にして罪を隠蔽し取り繕い、神様が全く見えなくなりました。

私たちは自分の心が何を優先しているか、日々、神様の前に静まり心の奥底の本当の動機を探られなければなりません。そして人からの評価ではなく、神様からの評価を第一に、誠実な歩みをする者でありたいと思います。

2.やもめの信仰(神への信仰と信頼)

イエス様は献金箱の近くに座り、巡礼者がどのような思いで献金を捧げているかを観察していました。お金持ちやパリサイ人はこれみよがしに献金し、その目的が神への捧げ物ではなく、人からの評価を得るためのものとなっていました。しかし、そこに貧しいやもめが来てレプタ2枚を捧げました。1レプタ78円 2枚で156円ほどです。イエス様はこの女性は全てを投げ入れたと称賛しました。これは理想的な献金行動を教えている箇所ではありません。称賛されたのはこのやもめは全てを捧げても今後の生活を神様が必ず守ってくださると信頼した、まことの信仰を見せたことに対してです。

私たちはどれだけイエス様を信頼しているでしょうか。

心理学者アーニーゼリンスキーは心配について次のような研究結果を発表しました。人が思い煩う心配の40%は決して起こらないこと。30%はすでに起こってしまったこと。22%は取るに足らないこと。4%は私たちの力ではどうにもならないこと。4%は私たちが変えることのできること。つまり心配したからといって私たちが解決できることはほとんどありません。

神様は信頼に値する方です。そのことをオーストリアで宣教されている矢部宣教師ファミリーが証ししています。

夫のあきひろさんが海外宣教への思いが与えられいよいよこれからという矢先に奥さんの幸恵さんがガンであることがわかります。家族は悲しみに打ちひしがれますが、弱さを覚え神様に祈り求める中で家族の信仰と召命が強められていき、神様に信頼する中で道が整えられてきました。

今日はやもめの信仰から「純粋な信仰」という題で見てきました。

私たちの人生も困難を通されることがあります。しかし自分の力ではどうしようもできない状況の中、神様に心から信頼し人生を明け渡していく時多くの恵みを体験していきます。

イエス様は十字架の直前に、神に信頼するやもめの信仰を目の当たりにされましたが、大きな励ましを与えたはずです。

同じように神様を信頼して歩んでいく純粋な信仰は周りに大きな影響を与えます。私たちは不完全で、日々失敗をします。しかしその中にあってやもめのように神様を信頼していくものでありましょう。その姿の中に周りの人は信仰の輝きを見出していくからです。(M.N)

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