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「牧師夫人の徒然なるままに」(七〇七) 空の鳥・被造物のユニークさ(マタイ6・26)

 燕が、猛スピードで、しかも軽やかに飛び交って捕食に励んでいます。比較的街中に住んでいる私ですが、窓の外には、勤勉な燕の姿が絶えることはありません。  
早朝には様々な小鳥たちが美しいさえずりを聞かせてくれます。創造主はその一羽一羽に、目を留めていてくださるのです。私には、雀は一絡げで、雀です。燕もそうです。個々の雀や燕を区別することはできません。みな同じ顔にしか見えないのです。でも、親鳥から口移しで餌をもらう姿を見ていて、それぞれに個性があることはわかります。創造主は、一羽ずつはっきりと区別して祝福してくださっているのです。
アメリカから孫たちが来ました。こちらの孫と二年ぶり会って意気投合した彼らに、自由に絵を描いてもらおうと壁に模造紙を張り巡らして、クレパスを渡しました。しばらくすると素晴らしく個性的な絵が画面いっぱいに広がりました。創造主からもらった個性を武器に自分たちの思い思いに描いてくれました。
 完成したら、食卓のテーブルクロスの下に敷いて楽しもうともくろんでいた私でしたが、出来上がった作品は、虫、ムシ、蟲、そして(私には気持ちの悪い)幼虫・毛虫の行列です。いやはや、この作品を見ながらの食事はユニークさを尊びたくても、無理です。
 次の作品では、別物を要求してもいいでしょうかね。 

安食道子

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