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メッセージ要約 2023.8.27「女の創造」

○創世記2章18節~25節

「フランス人は10着しか服を持たない」という本があります。

アメリカの女子大学生がパリに留学、ホームステイをします。フランス人のシンプルライフを学んだ方がいいという内容です。面白いエピソードがありました。熱が出たとき、マダムが貸してくれた体温計を、すぐに口に入れました。日本人は体温をわきの下で、アメリカ人は口に入れて測ります。マダムは慌ててノーン!と叫びました。フランスでは体温計はおしりに入れて測るのです。家族全員のお尻に入ったことのある体温計を、口に入れてしまったのです。それを悟った瞬間、彼女の熱は下がったそうです。

国によっていろいろな違いがあります。でも、違いよりも共通点の方がはるかに多いのです。それは、私たちが共通の先祖を持っているからです。今日の箇所には女性がどのようにして作られたのかが記されています。


1.助け手が見つからない

「また神である主は言われた。『人が一人でいるのは良くない』」

この良くないというのは、不完全である、未完成である、満たされていないという意味です。そこで神様は、人のためにふさわしい助け手をつくろうと言われました。神様はアダムに、獣や鳥の名前をつけさせました。アダムは、その外見や性格や生態をよく観察して名前を付けていきましたが、動物や鳥の中には、自分にふさわしい助け手がいないということを改めて知ったのです。


2.助け手の創造

1987版のネイチャーという科学雑誌の記事です。

人間の体の細胞の50%は父から50%は母からです。しかし、細胞の中にあるミトコンドリアの中には母親の情報しかないことがわかりました。その情報を調査した結果、全人類は一人の女性からスタートしたということが分かったのです。

聖書の今日の箇所は、その最初の女性の誕生について話しています。

神様は、アダムのあばら骨から、一人の女をつくりました。

どうして男を作ってから女を作ったのでしょうか?答えはありませんが、こんな説があります。46本の染色体のうち、性別を決める2つの性染色体、男の場合はXY、女はXXです。男から女を作る場合はYを取ってXを2つにする、逆の場合はYを付け加えなければいけません。あるものを取る方が簡単ですよね。

また、なんであばら骨なのでしょうか?これには、医学的な理由があります。あばら骨だけは、骨膜を傷つけないように骨だけを取ると、再生してくれるのです。現代の医学ではわかっていますが、人間を作った神様はよくわかっているのです。聖書は、化学の書ではありませんが、非化学的な書物ではありません。


3.世界で最初のラブソング

女を初めて見た時、アダムは「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉、これを女と名付けよう、男から取られたのだから」と言いました。これは世界最初のラブソングと呼ばれています。親兄弟以上の親しい関係という意味だからです。

ヘブライ語で男は「イーシュ」(אישִׁ)、女は「イッシャー」(אִשָׁה )といいす。女の場合は「ヨッド」(י)、男の場合は「ヘー」(ה)という文字が相手にあって自分にありません。この二つをつなげると、「ヤーへ」(יה)=神様になります。男と女が一体となるためには、神様の祝福が必要だということです。残った共通の文字は「エーシュ」(אשֵׁ)=火です。男女関係の中に神様がいないと、お互いを焼き尽くすことになるということです。これは日本語の訳では説明できません。

また、聖書には「妻は夫の助け手である」「お互いに助け合いなさい」と書いてあります。助けるとはどういうことでしょうか?

結婚すると、相手の欠点や弱さに気がつき、それを直そうとして責め合います。しかし、相手の欠点や弱さは、責めるべき点ではなく、自分が助ける点なのです。それが、聖書が教える夫婦関係の理想的な姿だということです。

「それゆえ男は父と母を離れ、その妻と結ばれ二人は一体となるのである」ここに結婚の奥義があります。「男が父と母を離れ」とは、精神的・経済的・物理的に自立するということ、「二人は一体となる」というのは、接着剤で張り合わされ、もう離れない関係だということです。

エデンの園の二人は、裸でしたが恥ずかしいとは思いませんでした。外面的だけでなく、心の中を見られても恥ずかしい部分はなかったということです。お互いが深い愛と信頼関係に結ばれていたということです。

しかし残念ながら、この後すぐ、悪魔がこの関係を壊し始めます。

今の世界は、戦争や社会の不正、家庭の問題も多くあります。しかし、神様は世界を回復に向かって進めるプログラムをお持ちです。それはイエスキリストの再臨と、それに続く1000年王国と新天新地です。その時に、創造の始めの素晴らしい世界を回復してくださいます。歴史の背後にある、神の見えない御手を見ながら、私たちは歩むことができるのです。

(H・T)

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