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牧師夫人の徒然なるままに(七三一)  「この便利にして困難な世にあって」(その2)

 昨年十一月の末に六人目の孫が誕生しました。息子家族にとっては三人目の子供です。三人目だから、出産も楽だろうと勝手に思い込んでいましたが、臍帯が胎児の首に巻きついていたために、難産になり、とうとう帝王切開になってしまいました。
 その朝「手術になったから、二人の子の面倒を見に来てほしい」と息子から言われて、着の身着のままで駆けつけました。その折に「お祈りしてください」と何人かに電話でお願いして家を出ました。
 息子の家で、孫たちの世話をしながら、不安が募りました。必死で、主にある平安を求めて、祈りました。  
息子の家には固定電話がありません。しかも、私は携帯電話を持っていません。病院に行ってしまった息子との連絡は一切取れないままに時間だけが過ぎていきました。せめて自宅にいれば、固定電話から状況が聞き出せたのですが、その時に三歳児と小学一年生の二人を連れ出して、我が家に戻ることは不可能でした。
 あまりにもデジタル世界が拡張しすぎた現実を思い知らされました。「私は世の流れから取り残されてしまったのだ」と残酷な認識を新たにしました。
 しかし思い返せば、なんでもツーカーの時代に「祈るしかない」という濃厚な時間が持てたことは恵みでした。やっぱり携帯は生涯持たないことにします。
安食道子

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