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牧師夫人の徒然なるままに(六九二) 「野の草さえ神は装ってくださる」(マタイ6・30)

 私はこれまで、自分の音楽技術の向上を目指してきました。いつか匠のレベル近くまで到達したいと。
 現在、私が教えていただいているギターの先生はとても温和な方です。彼の奏でるギターの音色はいつも細やかな美しさで心を潤し和ませてくれます。
 彼の教えを受けて何年か後に、私は日ごろから、疑問に思っていたことを素直に師にぶっつけてみました。「先生、弟子たちの演奏と先生の演奏の間にはあまりに大きな隔たりがあるように思います。皆さん、きっと努力なさっているでしょうに。私も頑張っているのに、いつまでたっても先生のレベル近くにさえ到達できないように思えています」
 これに先生はいともあっさりとお答えになりました。「それは、無理です。どんなに頑張っても。幼少から学ばない限りは無理なのです。遅くとも中学生までには」ムッムッ??なんという非情な言葉でしょうか。
 「では、いったい私は何を目指したら良いのでしょうか?」「そうですね。『誰にもできないあなただけの味のある演奏』それを目指してください」
 この師の言葉は、音楽や、賛美音楽についての私の目を大きく開いてくれました。『味のある』私にしかできない演奏、これこそが神にささげるにふさわしいものだと思えたのです。目から鱗の大覚醒でした。感謝。

安食道子

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