メッセージ要約 2023.8.6 「ダビデの祈り」

 Ⅱサムエル記 12:15~25
1.相反する祈り
お祈りは大事です。イエス様もよく一人でお祈りされていました。イエス様の祈りで有
名なのはゲッセマネの祈りであり、十字架にかけられる前夜に父なる神様の前に苦しい心
を吐露して、必死に祈られました。イエス様は目前の十字架の苦しみを避けようとして、「で
きることなら、この時が自分から過ぎ去るように」(マルコ 14:35)と祈られました。だが、
「しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」(マ
ルコ 14:36)と祈られました。イエス様は同じ祈りを三度もされました。
イエス様は父なる神様に委ねると言いながら、苦しみを避けたいと3度も祈られたので
す。「イエス様がどうして?」「潔くないなぁ」と思われるでしょうか?イエス様は神様で
はあられましたが、私たちと同じ肉体と精神を持たれたお方でもあり、私たちと全く同じ
ではなくても、私たちが感じるように感じ、私たちが葛藤するように葛藤されたのです。
けれども、イエス様の祈られた二つの祈り―「盃を取り去ってください。」(十字架を避
けたい)と「みこころのとおりになさってください」(十字架につきます)は、ある意味矛
盾しており、相反した祈りです。言い換えれば逆方向の祈りです。
本当なら後者の祈りだけをするべきでしょう。けれども私たちの弱さを帯びておられた
主はあえて前者の祈りもされたのです。そのことが私たちへの慰めとなり、私たちが大胆
に助けを求めて御前に出るための励ましとなりました。
私たちの祈りも時々混乱します。矛盾する祈りが同じ口から出てきます。どちらも自分
の思いだと認めましょう。そして、イエス様のように「でも、あなたのみこころのとおり
になりますように」と祈っていいのです。
2.豹変するダビデ
さて、父なる神に救い(助け)を求め、かつその結果を委ねるというイエス様のお姿は、
今日ご一緒にお読みしているダビデの姿にも通じるものがあると思います。
ただ、ここでダビデが見せている二つの相反する姿は、あまりに極端に違っていて、本
当にこれが同じ人なのかと疑いたくなるほどです。自らの家来の妻であるバテ・シェバと
の不義によって生まれた子が死にそうであることがわかると、ダビデは姦淫の罪を悔い改
め、断食をして必死に癒しを願い求めます。一晩中地に伏して祈るほどダビデは必死でし
た。なんとしてもわが子のいのちを救ってほしいと懇願したのです。

食を絶って、地にひれ伏して一日中祈り続けるその姿は、祈りの課題を持って祈る私た
ちの模範のように思われます。神様は何でもできる、不治の病だって癒せる、だから何が
何でも癒してほしい―それが彼の切なる願いだったのです。ところが後に彼は態度を一変
させます。ダビデは自分の罪によって死にかかった子どもの癒しを必死に神様に祈ました
が、子どもが亡くなったと知ると、潔く受け入れて礼拝し、日常生活に戻ったのです。
ダビデは神様の心変わりに期待して祈っていたようです。しかし、彼は祈りの結果を引
きずらなかったのです。ダビデの行動は、自らの願いはもうし述べますが、その結果は父
に委ねた、あのゲッセマネでのイエス様のお姿に重なります。
祈りにおけるダビデのこの姿勢を、私たちも学ぶべきです。
3. 「それでも、神は」
神様は私たちの願いを、私たちが願ったようにすべてを答えてくださるために存在して
おられるのではありません。百人の人が同時に願いを申し上げたら、必ず相反する答えを
求める祈りがあるでしょう。そうしたら、応えられる人もいれば、叶えられない人もいる
ことになります。
確かに神様はあなたの祈りに応えたいと思っておられます。でもその答えは、必ずしも
あなたが願っているとおりではありません。神様はご自身がお考えになっている、私たち
のために最高、最善の形で応えてくださるのです。
「神様の祈りの3つの答え」
①「はい」・・・そのまま叶えてくださる。
②「ちょっと待ってて」(まだだよ)・・・もう少し祈りつつ待ちなさい。
③「私にはもうちょっと良い考え(アイデア)があるんだけど」・・・神様には私たちが祈
ったこと(その結果)よりももっと良い方法(答え)がある。
私たちが神様は一番良いこと=最善以外には何も行われないことを、神様は私たちにど
うしても知ってほしいと願っておられます。そしてそれを信じ、神様に信頼していくとき
に、ある意味で私たちの祈りはことごとくかなえられるのだということを知るのです。
あなたの行く手を阻んで、「しかし」と言われたように見えた神様は、「それでも」神様はあなたに新しい、さらに素晴らしい道を用意してくださるのです。
最後に、有名な南北戦争の時に廃疾者となったある南軍兵士の詩の一節を紹介します。
ご存じの方も多いことでしょう。この詩は病室の彼のベッドの壁に書き残されていたと言
います。私たちも彼のような祈りを祈る者でありたいと思います。
「私が神さまに求めたのは、勝ちを得るための強さでした。けれども私は弱くされまし
た。謙虚に従うことを学ぶために。
私が求めたのは、もっと大きな事を成し得る健康でした。けれども私には病弱が与えら
れました。もっと善い事をするようにと。
私が求めたのは、幸福になるための富でした。けれども私は貧しさを与えられたのです。
智慧を得るようにと。
私が求めたのは、人びとの称賛を得るための力でした。けれども私は弱さを与えられま
した。神が必要であることを感じるために。
このような私でありますのに、神は、私のことばに言い表せぬ祈りに応えられました。
私はすべての人のうち、もっとも多くの祝福を受けている者です」
神様はいつでも、確かにあなたの祈りに応えてくださいます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?