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「牧師夫人の徒然なるままに」(七〇八)   これらはただ神の道の外側にすぎない(ヨブ26)

 苦難の最中にあるヨブに対して、因果応報で責め立てる友人たちに向かって、ヨブは神の創造の驚くべき御業を語ります。そして、最後に、その偉大な御業もほんの「神の道の外側」に過ぎず「神につての囁き」でしかないと言い切ります。
 ヨブが心に留めていたことは、常に神ご自身との関りでした。被造物の立派さや、神が下さる恵みの数々も「神ご自身」にとっては「囁きごと」「道の外側のこと」でしかないと知っていたからです。
 私の子供時代に、父はよく出張に出向きました。必ずお土産を買って帰ってきました。私はいつも本をおねだりしていたので、父が帰ってきて私にそれを渡してくれると、すぐに夢中になって、読みふけりました。お土産には夢中になりましたが、贈り主である父のことはほとんど心に掛けませんでした。「ほら、お父さんに何ていうの?」と促されれば「ありがとう」と答えましたが、心はそこにあらずでした。
 私たちの創造主に対する態度も、幼少時の私の振る舞いと変わりないかも知れません。「主よ、あれをしてください。これをお願いします」と身辺の細部にわたっての要求を突きつけます。そして、叶えられるとそのことに夢中になって「神ご自身」は忘れます。大切なのは、神ご自身を求めることのはずです。  

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