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牧師夫人の徒然なるままに(六六三)「こんな時にこそ必要な交わり」(その1)

 新型コロナ禍によって、この半年、私の行動範囲がかなり制限されました。ボランティア活動(ホスピスでの弾き語りや、老人施設での演奏等)が休止状態になり、教会での歌声喫茶や賛美の会などもお休みせざるをえない状況になりました。その分自宅待機の時間が長くなりました。
 気づいたことがあります。公の場に出る必要がなくなると、自分の身の回りのことに、配慮を欠くようになるということです。二種類の衣類を一日置きに着ます。洗濯が終わって取り込んだものを翌日にまた着るわけです。その繰り返しで何日でも持ちこたえられるとわかりました。洗濯をしていますから、決して不潔というわけではありませんが、心は少なからずフレッシュさを欠きます。この状態が転じて、人への関心も愚鈍になりがちです。嗚呼、こんな状況が「鬱」を生み出すのかもしれません。
 聖書は「一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励ましあい、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」(へブル一〇・二五)と勧めています。こんな時だからこそ、私たちには、神の家族が必要なのでしょう。こんな時にふんばれる信仰は、神の家族の交わりの中でこそ、育まれるものだと言えましょう。

安食道子

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