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メッセージ要約 2023.10.29 「神に受け入れられる礼拝」

〇創世記4章1~7節

1 カインとアベルの誕生

 私達は神様から選択の自由を与えられている。アダムとエバは、エデンの園で、神様の声より悪魔の声を選んでしまった。その結果、全人類に罪がもたらされた。今日の聖書箇所は、彼等がエデンの園を追われた後のことである。

アダムとエバの間に子どもが産まれた。1節を直訳すると「私は男子を得た。ヤハウェ(主)を」となる。エバは、創世記3章15節の神様の約束を信じていたので、救い主を得たと思った。「カイン」は「得る」という意味である。しかし、カインは救い主ではなく、人類最初の殺人者となってしまう。双子の弟は、「アベル」と名付けた。「アベル」は、「弱々しい」という意味である。元気いっぱいのカインに比べて弟は病弱に見えたのかもしれない。創世記5章から、カインとアベルには、弟や妹がたくさんいたことが分かる。

2 カインとアベルの礼拝

カインとアベルが、主にささげ物を持ってきた。神様は、アベルとそのささげ物に目を留められたが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。なぜ、違いが起こったのか。

理由の1つは、神様は、ささげ物を持ってきた本人の心をご覧になったからである。アベルは一番良いものを神様にささげようとしたのに対し、カインはそうではなかった。ここに私達は礼拝の本質を学ぶことができる。礼拝とは、礼拝者が満足するためにささげるのではなくて、神様に満足していただくためにささげるものである。残念ながら、カインは、自分の満足のためにささげ物をしたのである。

7節に「もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。」とあるが、「良いこと」とは、何だろうか。へブル人への手紙〈11章4節〉に、アベルのささげ物は「信仰によって」すぐれていたと書かれている。「信仰」とは、「目に見えない神の永遠のご計画を確信」することである。アベルは、この「信仰」に立ってささげ物をしたので「正しい人」と評価された。アベルは、「罪の贖いのために御子を十字架にかけられ、救いの道を開かれる」という神様のご計画を知って、羊の初子をささげたのである。神様は驚かれて、アベルとそのささげ物に目を留めた。

3 カインに問いかける神

 5節の「顔を伏せた」を直訳すると「顔が落ちた」となる。顔をつぶされたカインは激しく怒るが、神様は、「なぜ」とやさしく問いかける。神様は、カインに自分の内面と向き合わせようとした。さらに、このままでは滅びに向かうと警告している。しかし、カインは悔い改めることがなかった。

カインとアベルは二人とも罪人であった。また、二人ともエデンの園の外で生まれ、同じ環境の中で育った。しかし、二人の信仰は大きく違ってしまった。私達は、「アベルの礼拝」をささげていきたい。「アベルの礼拝」とは、神様のご計画を知り、そこに向かって進んでいくことである。私達の礼拝が最終的に行き着く先は、聖書にはっきり書かれている。〈へブル11*8~11〉私達の礼拝は天の礼拝につながっているのである。とても素晴らしい礼拝である。私達は預言の目をもって礼拝していきたい。

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