牧師夫人の徒然なるままに(七〇一)  「ヨブと友人に学ぶ」その1  (ヨブ2,3章)

 ヨブに降りかかった惨状を聞き知った友人たちはヨブのもとに馳せ参じます。そして、一言も話しかけないままヨブの痛みにひたすらに寄り添いました。ヨブと心を一つにして共感しました。
 この友人たちの態度がヨブの心中の思いを吐き出させるきっかけになりました。ヨブはそれまでは「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言っていたのに「私の生まれた日は滅び失せよ」に変わりました。妻の「神を呪って死になさい」の言葉にも「幸いを受けるのだから災いも受けなければ」と諫めていたのに「なぜ私は生まれた時息絶えなかったのか」と死を切望する発言に変わりました。
 友人たちの優しい共感の姿勢がヨブの心を溶かしたことは評価できます。そして、義人ヨブにも心中を吐露する機会は必要でした。
 しかし、問題なのはここまで大きな役割を果たした友人たちが、その後、因果応報の持論でヨブを責める体制に転じたことでした。
 ヨブの友人たちから、寄り添い共感する姿勢、吐露される思いを聞いてあげる優しさを学び取りました。ただ、彼らが間違えたのはその後にこそさらに深い共感が必要なことを忘れたことです。上から目線ではヨブを更なる苦しみに突き落とすだけでした。(続く)
安食道子

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