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メッセージ要約 2024.6.2 「あなたは確かに復活されました」

マルコ16章1-8節「あなたは確かに復活されました」

今日はマルコ16章1-8節にある復活の場面から「あなたは確かに復活されました!」という題で4つのポイントで復活の証拠について見ていきたいと思います。

1.動いた墓石

1節「 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。」

今日の箇所でマグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメが香料を買い、明るくなった日曜の朝墓に行く約束をします。しかし、彼女たちは、墓に行くときに不安に思っていました。それは墓の石を動かしてくれる人がいなかったからです。(2トン以上はあった)

すると、4節「ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。石は非常に大きかった。」 復活の証拠一つ目は、「閉じられた墓石が動かされていたと」いう点です。

マタイ27章62節 〜64節では、イエスの埋葬の後、ユダヤの宗教指導者たちはピラトの元に行き、

「ピラト様、イエスは生前、私は死んで3日目に復活すると言っていました。もしかしたら弟子たちが イエスの遺体を盗んでイエスが復活したと騒ぐかもしれません。なので墓を守る番兵を出してください。」とお願いします。その申し出をピラトは了承します。

マタイ27章66節 「そこで彼らは行って番兵等とともに石に封印をし 墓の番をした」

派遣された兵は、その墓を封印したとあります。この封印はローマ帝国の権威を示すものでした

なのでこの封印を勝手に破ったものは処刑されたのです。また番兵にも大きな責任があり、その番兵は死刑になったのです。彼らは四交代制で4人ずつ合計16人で、命懸けで寝ずの晩をしていたのです。

そこである出来事が起きます。マタイ書では、その時に天使が降りてきた。そして大地震が起きて天使がこの墓石をゴロッと転がして、あの封印が剥がれたのです。

それを見た兵士たちは腰抜かしたような状態になって動けなくなりました。そして、兵たちはユダヤの宗教指導者たちのところに相談に行くのです。そして彼らは兵士たちに口止め料を渡して「我々が眠っている間に夜中に弟子たちがやってきてイエスの遺体を盗んでいったんだという噂をエルサレム中に広めなさい。ピラトにはうまくいっておくから」と言います。

その噂が広がり、その噂がまことしやかにささやかれて、現代のユダヤ教でもこれが信じられているのです。

実はこのユダヤの指導者たちがピラトに番兵を頼み、墓に封印がされたということが復活の信ぴょう性を示す一つの証拠になっているのです。

というのは誰も死体を盗めないような状況を作ったことが。逆にイエス様の復活に真実味を与える結果になったということです。もしイエス様のお墓に番兵も封印もなければ、「弟子たちが盗んだ」と主張しても真実味があったわけです。

2.復活の目撃者が女性たちであった

今日の場面で、マグダラのマリアがペテロとヨハネを呼びに行っている間、ヤコブの母マリアとサロメは墓に着きます。すると墓石が転がしてありました。

そして墓の中に入ると 真っ白な衣をまとった二人の青年(天使)が右側に座っているのが見えたので彼女たちは 非常に驚いたと書かれています。

そして天使は彼女たちにイエス様が蘇られたこと、そして続けてイエス様が先にガリラヤで待っていること、そのことを弟子たちに伝えなさいと告げるのです。

では、この女性たちから天使からの伝言を聞いた時、弟子たちはどう反応したでしょうか?

ルカの24章11節を見ると、「この話しはたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった」とあります。

またこの場面の後で、マグダラのマリアは墓の中で復活のイエス様の最初の目撃者となるのですが、

弟子たちはまたしても信じようとしなかったのです。

なぜ弟子たちは信じることができなかったのでしょうか?

これは弟子たちの霊の目が閉ざされていたということと同時に、当時の女性の立場が弱くユダヤの法廷では女性は証人として認められていませんでした。この時も弟子たちも同じように考え、所詮は女性のいうことだ、信用するに値しない。そう聞き流していたのです。

しかしこの復活の最初の目撃者が女性たちであることが、復活の信ぴょう性を高める一つの証拠となっているのです。それはもし聖書を書いた人たちが、復活を捏造しようと思ったら、最初の目撃者は男性にしていたはずです。その方が当時の人々にとってはるかに説得力があったからです。

しかし福音書の記者たちは復活を初めに目にしたのは女性たちであると書いています。

それが事実だからです。記者たちは事実を事実として書き残したのです。

3.その後の弟子たちの変化

弟子たちは女性たちの証言を聞いても復活を信じることができませんでしたが、最終的に彼らは復活のイエス様をその目で見て初めて信じることができるのです。

その後の弟子たちの運命は次の通りです。使徒12人のうちの1人ヨハネだけが迫害の中、自然死。そしてその他の11人の弟子たちは皆殺されています。

殺された理由は、イエス・キリストは復活し救いを完成された!イエスこそ本物のメシアだと証言し続けたからです。実はそれが復活が真実であることに何よりの証拠となっているのです。

なぜなら、イエスが十字架についた時逃げ出した弟子たちが短期間のうちに死を恐れない殉教者に変えられた合理的な説明は一つしかありません。

それは彼らが復活したキリストに出会ったということです。それ以外考えられないのです。

もし弟子たちがイエスの死体を盗んだのなら、イエスが復活していないことを知っているのは彼ら自身です。人は自分が嘘だと思っていることのために命を捨てることなどできないからです。

4.墓石と封印が取り除かれた

この墓石と封印は人の死という問題を象徴しています。しかし、イエス様は復活によって、その死の問題を克服し、私たちに永遠のいのちの希望を与えてくださいました。

死の問題から私たちを解放してくださったのです。

なぜ多くの人は死と向き合おうとしないのでしょうか?

それは死に対する明確な答えを持っていないことと関係があると思います。

だから死が恐ろしいのです。

もし心に平安や希望が持てないのならその考え方が間違っているのかもしれません。

イエス・キリストの復活には死後の明確な希望があります。

イエス・キリストを信じる時私たちも死後にその復活の命に預かることができるからです。

ローマ6章5節「"私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。"

そして死の先に希望を持つとき、私たちはこの地上での人生も豊かなものとされていきます。

死後の行き先がわかっているならば、私たちは安心して地上の人生を走り抜くことができるからです。

私たちは天国に行く復活の希望がある!!その希望があるからこそ、私たちはこの地上でどんな困難にあっても立ち向かうことができる!!乗り越えていくことができる!!

そのことを今日の箇所から覚えましょう。

(T.N)

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