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牧師夫人の徒然なるままに(七一一)安食道子「死こそは最大の証の場」(その1)

 人は美しい場面に遭遇すると暖かな感動に包まれます。その感動は時間が過ぎ去ると共に、無駄な部分がそぎ落とされて、まるで一幅の絵のように深く記憶に残されます。
 私たちの教会の最年長者であった島津さんが天国に凱旋されてから早や一月が過ぎ去りました。七月中旬に営まれた告別式に参列させていただいた時に受けた感動が、ふとした折に私の脳裏によみがえり、天国とイエスさまへの思慕をいや増しに募らせます。
 暑い日でした。けれども、市貝町の美しい自然の中にたたずむログハウスの日下家では、縁側に愛猫が寝そべり、木々や花々に囲まれた石畳の玄関に続く小道には、木々のそよぎが心地よい葉陰をつくり、時々聞こえてくる野鳥のさえずりが暑さを忘れさせてくれました。こんな美しいところを終の棲み処とされたつるさんはお幸せだと思いました。
 式の中で娘さんの寿子さんが述べられた言葉が深い感動を呼びました。「母はこのところずっと寝たきりで瞼も閉じたきりでした。私はもし、主がお召しになる時が来たら、私たちにわかるようにお知らせくださいとお祈りしていました。そして、母は召される前にその目をしっかりと見開いて、彼方を見つめました。イエスさまのお迎えの姿を見ていたのだと思います」

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