「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇四)「母の祈り」

 私は「母の祈り」は必ず聞かれるという信念を抱いています。教会にいらっしゃるお母さまたちにも、いつもその信念でお祈りを勧めます。

 ヨブ記を読んでいて教えられた事があります。禍を下される前の繁栄していたヨブが子供たちのために生贄をささげた場面からです。ヨブは「私の息子たちがあるいは罪を犯し、心の中で神を呪ったかも知れない」と心配して祈りました。ヨブの願いは子供たちがまっすぐに神の義にかなった生き方をすることでした。

 私と夫は子供たちが自宅から学校に通っていた期間には(保育園から高校を卒業するまで)毎朝登校前に玄関で手を置いてお祈りをしました。振り返ってみれば(特に私がしたお祈りに関して言えば)事故に遭わないようにとか、テストで頑張れるようにとか、友達と仲よく過ごせるようにとか、簡単に言えば苦しい思いをせずにその日一日を平穏に過ごせるようにという願いが主眼だったように思います。

 今、孫たちのために祈る祈りは少し違います。少しだけですがヨブの祈りに近づいているのではないかと思うのです。祈りは孫たちが平穏に過ごすことに限りません。たとえ困難に遭っても、それを乗り越える経験が出来ますようにと祈ります。その中で、やがてしっかりと神さまの御手を知ることが出来ますようにと。

安食道子

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