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「牧師夫人の徒然なるままに(六四七)  「すべての営みには時がある」(伝道3・1)

 左足の骨折から一年が経過した頃、骨の固定をしているチタンのプレートと、十数本のネジを撤去する手術を受けたいと思いました。いつも私のためにお祈りしてくださっている方が「必ず、神様の時がくるからね」と声掛けをしてくださいました。
 賛美の会がイースターの召天者記念礼拝での賛美を終えるまでは忙しかったので、それまでは撤去手術を待とうと決めていました。ところがそれを待っていたら、今度は新型コロナ・ウィルスのための緊急事態宣言が出されて、外出も自粛を要請されることになりました。特に医療機関への出入りは双方にとっての危険が付きまとうということで控えざるを得ませんでした。
待ち焦がれていた手術でしたが、担当医と電話で連絡をして「時を待つ」ことになりました。かつての私なら、コロナ禍の中でも手術していただきたいと願って実施にこぎつけたと思います。しかし、今回は「必ず神様の時がくるからね」の一言がこだまのように心に響いていました。だから、平安のうちに待つことができています。
最近「待つこと」への焦りが軽減しています。創造主を第一にする生活に欠かせないことは委ねることだと教えられて四十年、自分の計画を無理に押し通そうとせずに、問題を手離せる大人に近づいたのかな?

安食道子

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