![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/32781290/rectangle_large_type_2_c4f6334dfa5b5c14699f7b2827f5cd2e.jpg?width=800)
牧師夫人の徒然なるままに(六五八) 「あなたは私を信頼しますか」(その3)
信頼している物事や人に対して疑いを持つことは、原罪の結果です。悪魔は疑わせるというその手口をいつも巧みに使います。四十余年間、とぼとぼと育まれてきた私の信仰生活で、ようやく悟り得たことです。
人に対する信頼が容易に揺らぐなら、必ず創造主に対する信頼も揺らぎがちになるでしょう。
もちろん最初から、信頼を寄せてはいけない相手もいます。その見極めはとても大切ですが、信頼するに足ると確信してよき関係を築き上げてきた相手に対しては「信頼し尽くす」ことが求められると思います。
かつてダビデは主君であったサウル王と息子のヨナタンの戦死の報告を受けた時「サウルもヨナタンも、愛される立派な人だった」と悼み、彼らの死後もサウルへの忠誠と、深い友情を育んだヨナタンへの愛が変わらないことを詩編に綴り、また民に知らせました。サウルといえば生前、妬みによってダビデ王にひどい仕打ちをした人ですが、そのことがダビデの記憶から消える筈はなかったでしょうに。
以前、ある相談をした時に、大角牧師が返された言葉を、私は大切にしています。「わたしはどんなことがあっても信頼すると決めたから、最後まで信頼するのです」強い決意とまっすぐな信仰で語られた言葉は私の人生を何度も正道に引き戻してくれています。
安食道子
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?