メッセージ要約 2023.6.25「救い主を拒否するとき、受け入れるとき」

マルコの福音書 11章27節〜12章12節

「救い主を拒否する時、受け入れる時」

人生の中でやってはいけないことはいろいろあります。しかし私たちが人生の中で最もやってはいけなのは「真の神を拒否する」ことです。今日の箇所から「救い主を拒否する時、受け入れる時」というテーマで見ていきます。

1.イエスとは誰か?
イエス様と弟子がエルサレムに入ると、当時のイスラエル指導者たちがやって来て、エルサレム入城の時メシアとして人々の賞賛を受けたこと、また宮きよめをしたことについて、何の権威によってしたのかと質問してきます。この質問はイエス様がどう答えても窮地に追い込まれる質問でした。神からの権威からといえば、神への冒涜罪で捕まえられてしまう。また、もし自らの権威といえば尚更です。それに対しイエス様は、彼らにこう質問します。「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。わたしに答えなさい。」これはどちらを答えてもイスラエル指導者が不利になる質問でした。もし、権威が天からのものだったと答えれば、なぜあなた方は私を信じないのかと言われるわけです。なぜなら、バプテスマのヨハネはイエスのことを「この方こそ我々が待ち望んでいたメシアである」と繰り返し言っていたからです。反対に人からというなら、ヨハネは預言者と認めていた多くの群衆の支持を失うことになります。彼らは「分かりません」と、答えることを拒否します。それはイエス様の権威を否定し、メシアであることを拒否したということです。
イエスがメシアであることを拒否する時、どのような運命を辿ってしまうのでしょうか?

2.救い主を拒否したイスラエルの末路

イエス様は「ぶどう園の主人と農夫の例え話」をされます。地主である主人が畑を農夫にかして収入を得ることはよくあることでした。この例え話の主人は父なる神、ぶどう園はイスラエル、農夫はイスラエルの指導者達。しもべは預言者たち。そして最後に出てくる愛する息子はイエス様のことを表しています。
主人はぶどう園を作ります。主人がぶどう園であるイスラエルを愛し収穫を期待しています。神はイスラエル民族を選びカナンの地に置かれました。そして全世界の人々の祝福の基となるように使命を与えたのです。そして、神の救いの計画はイスラエルの指導者の手に委ねられたのです。
収穫の時期になり主人は収穫の一部を受け取るためしもべを遣わします。しかし農夫達は遣わされたしもべ達を4回にわたって酷い目に合わせます。歴史の中でイスラエルがその使命を忘れ、神から離れるたびに、神は預言者を遣わして悔い改めを迫りました。しかし、イスラエルは悔い改めるどころか、逆に預言者を迫害したり殺したりしたのです。イスラエルは神から遣わされた彼らをことごとく拒否したということです。

しかし主人は諦めません。愛する息子を彼らのところに遣わしました。しかし、農夫達はその息子まで殺してしまうのです。イエス様はイスラエルの指導者たちが自身を殺そうとしていることを見抜いていました。 

そして、イエス様を拒否した結果イスラエルの運命はどうなるのか?ぶどう園の主人は、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えます。これは紀元70年のエルサレム崩壊の預言になっています。そして他の人たちとは、黙示録にある終末の大患難時代ユダヤ人のリバイバルが起こった時のイスラエルの指導者を指しています。 

この箇所は救い主を拒否するなら滅びに向かってしまうということを私たちに教えています。聖書は、アダムとエバが罪を犯して以来、全ての人にその罪の性質が引き継がれており、人はその罪ゆえに神様との関係が壊れ滅びに向かっていると教えています。イエス様は、そのような私たちの罪の問題を十字架の死と復活によって解決するためにやってきてくださいました。しかし、私たちがイスラエル指導者のようにイエス様を拒否するなら、その罪ゆえに滅びに向かっていきます。それは厳しいメッセージです。しかしそれと同時に、イエス・キリストによって救いは完成し、愛と赦しがすでに差し出されています。私たちを守るために命を捨ててくださったその大きな愛が土台にあるので、私たちはこの厳しいメッセージをも受け取ることができるのです。

3.揺るぎない人生の土台

イエス様は、イスラエル指導者たちに詩篇118篇を引用し、「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった」とおっしゃいました。家を建てる者たちとはイスラエルの指導者を指しています。彼らは神殿を建てる時に一番重要な石であるイエス・キリストを捨ててしまいました。しかし後に、この石こそ最も大切な石であった事がわかります。イエス様を認めなければイスラエルの家は完成しないということです。

困難という嵐に通らされた時、信頼していた多くのものが無残に崩れていきます。その中でイエス・キリストという信頼に値する揺るぎない土台、歴史の中で多くの人々の人生を導き、今も私たちと共におられるこの方に信頼する時、私たちは決して崩れることはありません。主にある平安を得ているからです。
(S・S)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?