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牧師夫人の徒然なるままに(六七四) 「サムソンをお用いになった」

 皆さんはサムソンと聞くとどんなイメージを持たれますか。ナジル人、女性に弱い人、怪力、等々でしょうか。このところじっくりと士師記を読む時間があったので、サムソンの箇所にも存分に親しめました。
 サムソンはその母の胎にある時から、祈られた存在でした。ナジル人だと主の使いに示されて、母親は妊娠中には葡萄酒を避け、汚れたものを食せずその誕生を待ち望みました。本当に祝福された人として生まれたのです。サムソンとは「太陽の子」という意味だそうです。まさに、非の打ち所がない出生のレールを踏襲して誕生したのです。
 ところが、完全な人間など存在しません。サムソンにも欠点がありました。神さまからの祝福は十分に受けていました。(13・24)けれども彼は女性に弱かったのです。しかも憤るととんでもない怪力を使ってペリシテ人を殺し、略奪します。(14・19)(15・14,15)
 もし、サムソンの暴れる姿、我儘な行動だけを見ていたら、おそらく彼のことを批判的にしか評価できないでしょう。しかし、すべては、神さまの操り糸で動かされていました。神さまに用いていただいていたのです。サムソンと、どこかの国の指導者とを重ねあわせてしまうのは私だけでしょうか。
安食道子

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