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牧師夫人の徒然なるままに(六四八) 「主は選ぶべき道を教えられる」(詩25・12b)
我が子を育てている時には味わえなかった楽しみを、孫たちから享受しています。祖母という立場上の特権でしょうか。親時代の緊張した子育てとは違います。
子どもの成長過程には、いつも選択という決断の場が提供されます。次々と目前に現れる好奇心をくすぐられる場面で、挑戦しては失敗し、時には怪我をして大泣きしたり、かろうじて危機を乗り越えて安堵したりします。ハラハラドキドキしながらも、すべてが将来に繋がる学習の場です。
この挑戦を受けて立つとき、子供たちはめったに親の意見を聞くことはありません。かなり知恵がついて後はそうではないかもしれませんが、多くの場合は目の前の挑戦を、自分で受けて立つことが多いのです。だから、傍観している婆ちゃんの私は、とてもハラハラしつつも見ごたえのあるドラマを見ている気分です。
アメリカ在住の娘の第三子の初歩きの場面が動画で送られてきました。娘の感激の絶叫が多少うるさかったのですが、孫は歓声を背にして歩みを進めました。振り返っても、決して母の方向にターンはしませんでした。その姿は私には「独り立ち」表明に見えました。この先、多くの選択を迫られることになる孫の人生ですが、決断はしっかりと自分で下さなければならないことを暗示しているかのような映像でした。
安食道子
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