「音楽の方向性の違い」は「バンド解散の真の理由ではない」
■結婚カウンセラーが教える「理想の結婚相手第1位“おおらかな人”」の見分け方
相手の失敗や短所、ミスや落ち度に対してどれだけブレないか。感情的になりやすい、ガンコなのはNGだ。そういう相手は付合いにくいものだ。
下手なメンツやプライドがある人間、論理を離れ感情的になりやすい人間は面倒くさいことになりやすい。まあそれを承知しておけばさして大きな問題にはなるまいが。
自分の損得にのみ敏感な人間もあまりお勧めできない。範囲としては「自分だけ」ではなく「全体」を、時系列としては「今」だけでなく「過去の経緯や未来の推移」を見て判断できる人間の方が信用できる。
「感情的になりやすい」というのは激しやすいのもそうだが、躁鬱が激しく落ち込みやすいとか、些細なことを気にしすぎるというのも含まれる。みようによっては「情熱的」「人間味がある」「細やか繊細」などの長所にもなりえるわけだが、それは周囲がどう受け取ってくれるかは周囲との関係性によるわけだ。
極端な話、「人を殺めたことがある」「借金が数十億ある」「隠し子が1ダースいる」と言ったところでそれを「許容できる人」にとっては「許容できる程度の問題」でしかない。
逆に「虫を殺せない」「貯金が少ない」「異性と付き合ったことがない」というだけでも「許容できない人」にとっては「重大事」なのだ。
「幸運も不幸」も「関係性の維持」も「戦力の決定的な違い」も「事象そのもの」「MSの性能」のみですべてが決まるものではない。そこにともなう解釈や許容量、パイロットの技量によって最終的に決まるのだ。だから「音楽の方向性の違い」は「バンド解散の真の理由ではない」のである。
論理的というと日本では理屈っぽいとか気難しいみたいな印象があるが、私としては全く筋違いだと考える。
まず大前提として論理的であるためには「自分が絶対に正しいとは限らない」という自分を疑う姿勢が必要だ。間違ってたら「速攻で直せるかどうか」というのは重要だと思う。あくまでも客観性、現実を見ることに終始できるかどうか。ゆえに断定的で攻撃的な強すぎる表現を使う人間は「非論理的」である可能性が高い。自身が万が一間違っている可能性、見落とした前提がある可能性を無視しなければ「強い表現」はおいそれとできるものではないのだ。
感情制御のコツと言うかブレないコツは自分にとっての優先順位を明確にしておくことに尽きる。自分があらかじめ定めている重要事以外は基本的に些細な問題なので、自分のコアに直撃することはない。とりあえず人の命に関わるとか「犯罪レベル」の重大事でない限りはゆるりと構えて経緯を探るのが吉だ。
人生と言うのは長いスパンの勝負だ。意識があり、思考を放棄しない限り死ぬまで決着しない。ならば自分の態度を鮮明にするのをそこまで焦る必要はない。このあたりは「後出しジャンケンの方が有利になりやすい」という実利に基づいた損得判断になってくる。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。