仕事における「後退防御」という打点ズラシ

本日の記事は、病院に勤務するソーシャルワーカーの友人が「仕事が大変」とのたまっていたんで行ったアドバイスがベースである。なんでも、「2人だった組織で相方が辞めて1人になって大変」だとか。

<一方の私は「業務が殺到する修羅場」を乗り切って一週間が経過した。しばらくは嵐が来ることはない。以前も書いたが「敗走させたら右に出る者はいません」である。撤退戦や脱出戦が性に合ってるというのもなんだが(笑)。>

一生懸命業務をしているにもかかわらず、業務がたまり、業務に追われる。残業終電当たり前。場合によっては休日出勤。

なぜか? 全力じゃないから? 能力が低いから? 設備が古いから? 人員不足だから?

否。上記はいずれもアウトプットのことばかり考えている。本人がやる気を出して急に2倍の能力を出せるなら苦労はしない。だが、業務のインプット配分を半分に絞ることは比較的簡単にできる。

優先順位をつけ、白黒をはっきりとする。重要緊急の仕事(黒)は全力投入。断ってよい仕事や他人に振れる仕事(白)はどうにか自分がやらずに済ませる。

一番辣腕をふるえるのはグレーゾーンだ。自ら納期を切る。ただし普通の倍の余裕をもって納期を設定する。これだけだ。

「明日までにやります」と返事して3日後に仕上げると相手は激怒する。
「一週間後までにやります」と返事して3日後に仕上げると相手は感謝する。

やってることは同じだ。変えたのはインプットにおける返事内容だけ。だが、その後の相手の反応は真逆になる。自分も楽できて相手にも感謝される魔法のような方法だ(笑)。

「インプットは厳しく返答してアウトプットは優しく行うのだよ。君は逆をやってるから大変なんだ。」
「2人だったのに自分一人になったから大変? 違うよ。楽天家はそんな考え方はしない。納期返答を遅くしても一人だったら比較されることもないと考えるんだ」
「自分一人だから、休んでも仕事は残ってて休日明けに結局自分がやらないといけない? 当然じゃないか。仕事ってのは組織がある限り未来永劫続くものだ。仕事があるから君がクビになる可能性は低くなるんだ。きつさは納期ズラしでやわらげればいい。」
「同じ業務量でも明日までにやるのと一週間後までにやるのじゃきつさが違うでしょ?」
「バッファを設けることで突発のアクシデントがあっても予定を変更せずに対応できる。周囲にも評価されるよ。『あんなアクシデントがあったのに予定通り業務を仕上げるなんてさすがだ』とねw」
「本人が個人の努力でカバーしようという心根は一見尊いものだが、組織的問題の発覚を遅らせて、組織改革を遅らせることになる。」
「増員を雇うのは病院の権限であり、病院の責任だ。それを一人でカバーして助けようという思いは尊いが、自分の責任でないことを背負おうとするのは無責任だ。割り切りが必要だ。自分も余裕がないのに能力以上に人を助けようとしたら一緒におぼれるだけだよ?」

「突発」「緊急」の発生時は個人努力で対応するのもよい。これは発生した危機(クライシス)に対するマネジメントだ。だが、それが当然になってはいけない。短距離走のペースでマラソンを走れば体力的に持たないのは目に見えている。私の場合は条件が合致したので、この方法で3か月続いた修羅場を組織的に恒久的に解決できた。これは計画的に対応できる危機(リスク)に対するマネジメントになる。

ただしこの手法にも当然問題はある。たとえば同等のライバルや競争相手が居る場合、単能機の返答をした相手に評価は取られる。無分別に手抜きをするものではない。また、純粋にすべての業務が緊急で重要(人命にかかわるなど)の場合もオーバーフローを解決できるわけではない。納期を押し付けてくる上司や顧客とは押し問答になりえるが、どちらがより的確に業務分量や処理能力を把握しているかの勝負になるだろう。

「情報通である、特にマスコミ関連に詳しい」「外国語が得意で外国の戦史をよく知っている」「医療系の機械を修復する技術がある」「危険物取扱視覚と公認内部監査人資格を有する」というのは基本的には「よいこと」ではある。あくまでも基本的に。

「情報」も「知識」も「技術」も「資格」も(以下、省略して「知識類」とひとくくりにする)。それらをどう活用するかという「手段」だと考える。

たとえば「俺は○○が得意だ」「□□なんて常識的に知っていないとおかしい」とやる人間にとって、それらの「知識類」は「単なる目的」となってしまっている。「知識類」をひけらかすだけで「一瞬の優越感」を得ているのだろうが、周囲の反感を買っているんではマイナスだ。

「知識類」を「ひけらかす」のと「役立てる」のは違う。「ひけらかし」は「過去に向かって自分への賞賛につながるように用いる」「周囲の怒りや悲しみ、不審、不振、不信、反感」を買う。「役立てる」のは「現在から未来に向かって周囲を助けるように用いる」「周囲に笑いや感心、関心、歓心、安心」を与えられる場合だろう。

自分は「役立てるつもり」であっても受け手の状況や状態によっては「ひけらかし」と受け取られてしまうこともあるので、出し方や見せ方には一定の注意が必要だと思うが、まあそこまで堅苦しく考えずとも「周囲や相手の役に立つ」と考えて行う限り、そうそう納得いかないことにはならないはずだ。関係者に何らかのメリットを提供できることが望ましい。


以上、長い前フリでした(笑)。

で、今回記事の本編(?)。

前回記事のキーワードは「ズラす」ということの応用というか転用だった。

仕事でいえば納期(時期)をズラすことで負担感を和らげるという考え方を記した。

武術でいえば打撃を受けた時に打点(場所)をズラすことでダメージを抑える手法がある(私自身は詳しくはないが)。

経理でいえば貸倒し引当金はこれに近い発想だ。ある日取引先が倒産したとしても普段からそれを見越して積み立てた金でダメージを軽減する。

監査でいえば「リスクマネジメント」になる。予見できるリスクに対してうち手を講じておく。予防策と発見策と防止策と復旧策がありえる。発生させない予防策。発生時にすぐに近くできる発見策。発生した後に被害を短期応急的におさえる防止策。発生した後に長期恒久的に回復する復旧策。用いる時期がそれぞれに分散しているわけだ。

将棋でも戦史でも不利な戦場の戦術としては2つ。「遅滞行動」=タイミングという「時機」を「遅滞」させる。「後退防御」=「交戦ポイント」という「場所」を「後退」させる。

「時期や場所をズラす」共通項は「ダメージの平均化=致命傷を避ける」ということ。「蓄積ダメージ」よりも「最大瞬間風速」な一発超過ダメージこそが致命傷になりやすいというのが武術でも企業運営でも真理に近いようだ。厳密には全然違うんだが、感覚的表現として「質量保存則」的に「ダメージを完全にゼロにする=すべてを完全に回避する」のは極めて難しい。だから「ズラして平均化」を行い、致命傷にならないようにする機動防御がメイン手段となる。

というようにどこかで得た「知識類」(今回記事でいえば「ズラすこと」)を他に用いようというのが私の根本にある「転用という手段」の正体だ。一つ一つの理論や技術は浅くてもいい(深いに越したことはないが)。ただ浅いなりにそれらの「知識類」という「手段」を活用して、「自分が属する集団の全体利益最大化」という「目的」を目指すことが首尾一貫している。ゆえに仮に敵や反対者ができたとしても味方の方が多いのだと思う。

なお、組織の戦略上のミスを個人の武勇で支えたり覆したりというのは劇的になりやすく、漫画や小説の格好のネタにはなる。だが、それは極めてレアなケースだからである。個人が「ちょっくらやる気を出すか」と言って覆せるなら苦労しない、というか不利な状況になるまでそいつは手を抜いてたといわれても仕方があるまい。予備戦力の投入があったならまだしもね。

将棋の持ち駒が戦史における「予備戦力」にあたる話も以前書いたが、関連づいてしまったので書いておこう。戦場には「有利な戦場」「不利な戦場」「互角な戦場」がある。局地的なそれらがいたるところに存在し、合わさって全体的な有利不利という結果が生じる。ここでいう「有利」「不利」は予備戦力の投入で容易にひっくりかえせないレベルのものだ。

予備戦力は有限のリソースなので、優先順位の高い場所に的確に用いなければならない。

有利な戦場に予備戦力を投入する狙いは「勝利という結論を即決すること」だ。今のままでも有利だが、一挙に決めてしい「時間」を買うわけだ。その戦場が例えば敵玉付近のこれを「詰将棋」というわけだ。優先順位が最高級に高くなる。自玉付近の場合は受け切り勝ち狙いになるんだろうが、そこまで優先順位は高くない。

互角の戦場に予備戦力を投入する狙いは「優勢を得ること」である。一進一退の状況から、分岐点を越えて有利を築けるかどうか。敵玉付近のこれは「寄せ」となる。自玉付近では安定のためにそこそこ重要性が高くなってくる。予備戦力を投入したにもかかわらず優勢にならないならそこはもともと不利な戦場だったのだ。

不利な戦場に予備戦力を投入する狙いは「時間稼ぎ」だ。相手が間違えるかもしれない。あるいは相手が間違えるように誘導する。敵玉付近でこれをするのは「一発長打」「頓死」が狙いだ。あやをつける。自玉付近の場合「しのぎ」となり、優先順位は跳ね上がる。自玉が詰まされたら負けなのでね。

王手を受けた時の防御手段には「回避」「防御」の2つに大別される。こいつは・・・って予定を越えて書きすぎた。今回はここまでにして、また続きは改めて書きます。


CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。