正論VS効率論 「恋の告白」と同じく外部への意見表明

遠野なぎこ、摂食障害めぐる“心ない言葉”に悲鳴「入院すれば満足ですか?」 病のリアル告白で「これ以上追い詰めないで」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=7712912

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店のレジで1円合わない場合
正論の奥さん「多人数が残業してでも1円単位までそろえるべくさがすべき。」
効率論の私「俺が1円出すからそれでレジ〆よう」

これはどちらが正解というわけではなくて、状況や条件で正解が変わるという話である。

遠野なぎこ氏の発信も似た要素があって。
「自分の意見の発信はしたいけれど、他者のリアクションとしての発信で気に入らないのはやめて」ということになる。

むろん、他者を追い詰める発信は「いじめ」「痴漢」などと同様にするべきではないし、するほうが悪い。これは正論であり理想論だ。

一方で「じゃあ発信しなければいい」「コメント欄を封鎖すればいい」「いじめられた側が転校すればいい」「痴漢被害を受ける女性が女性専用車両に乗ればいい」というのが現実的な効率論だ。問題解決のためにはこっちのほうが手っ取り早い。

私は現実的な効率論優生の価値観だが、理想を目指す姿勢を失わないように心掛けている。とはいえ、理想を目指し過ぎるあまり自身がつぶれるのでは元も子もない。

遠野氏は自分がつぶれない程度に主張をすればいいし、潰れそうならばいったん発信をやめるほうが良いだろう。誹謗中傷する輩が悪であり、彼らに責任があるのは当然ながらも、彼らが完全に排除されることは現実的には期待できないのだから。

感想や意見を外部に発信した時点で、それは受診した多数の第三者の意見や感想という反応にさらされるのは当然のことであり、中には気に入らない反応もあるわけで。

このあたりは恋の告白みたいなものだ。自身の内に秘めている限りは波風は自分の内にとどまるが、いざ告白(=外部へ発信)をすると当然入りアクションが発生するわけだ。そのリアクションが自分にとって好ましいものになるかどうかは発信してみるまではわからないわけだが、こと多数の第三者に発信する場合は気に入らない反応が少なからず含まれてくる。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。