戦場の霧(未確認要素)

現実の戦いでは必ずあるのが「戦場の霧」と言われる未確認情報だ。限られた時間の中で可能な限りウラをとっても、敵の戦力や配置、戦略目標や行動は不明なことが多い。わからないことにどう仮説を立てて対処するか?最後は勇を奮って霧に飛び込むしかない。

反面、将棋は「情報がすべて公開されており、戦場の霧が無い」とされる。それゆえに「純思考」が楽しめると言われているし、私も少し前まではそう思っていた。「自軍も敵軍も情報が全部見えているのが将棋である。運の要素が極めて低い」

自分より強い相手、いわゆる格上と戦う時は「不確定要素」は多いほど良い。互いが実力を100%出し合えば負けるのは格下である。そこに紛れを生じさせるには見えない要素=不確定要素を少しでも増やしたい。「できる限り意図を悟られないことが奇跡の番狂わせのカギとなる」

ここで矛盾に気づく方もいるかもしれない。
【前提】将棋は「霧がなく全部見えるルール」だ。
【展開】格下は格上相手に「隠したい」(シャレではないんだがw)
【結論】そこで私は何を隠せるのか?何も隠せないのではないか?
普通に論理的に考えれば私の発想は破綻しているように見える。

私の考えは「情報が見えること」と「情報が正しく認識されること」の違いを使うことだ。このわずかなズレを拡大することに血道をあげている。格上相手に全部見切るとか避けるとかは不可能だが、「ズラす」のはけっこうやれるものだ。相手を「打ち破る」のは無理でも「遅滞行動(いわゆる時間稼ぎ)」はできる。

たとえば手品師が堂々とタネを見せていることがある。誤導を使ってそれを「見えなく」する。あるいはわざと露骨に強調しまくり、相手の裏読みを誘う(ブラフやフェイクというやつだ)。

私の発想はそれに近い。1つの手でまっとうに見える第1の意味を相手に認識させつつ、真の狙いを別に用意する。あるいは今動かした駒ではなく、その陰にいる駒の「捌き」を狙っていく。他にもわざと隙を作って攻める場所を限定させる。などなど「指し手の内心」は将棋における数少ない「霧のある場所」なのである。(やっと表題にたどりついた)

・・・まあ、これだけ策を弄してもほとんど勝てない(苦笑)。だが、それが楽しい。勝った時の達成感は格別のものがある。私は爽快感のあるハイキングよりは達成感のある登山が好みなのだろう。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。