「攻防も歩での誤り」

自分の失敗や敗北をネタにするのが「芸人」。そしてわたしは弱いくせに将棋で小理屈をこねるのが好きである。絶好のネタが降ってくれば文章が勝手に湧き出てくる。

昨夜、ネット将棋でエジンガーさんに負けちまいました。後から将棋をはじめた人に負けるのは3回目。4年前にすえきちさんに負け、先々月あたりに妹に負け、で、今回エジンガーさん。すえきちさんは初めて1年足らず。妹はかなり前から将棋を「知ってはいた」けれど、ちゃんと勉強しだしたのはけっこう最近。で、エジンガーさんも「知ってはいた」けれど、ちゃんとやりだして2年経ってないんじゃなかろーか。

点が2つ特定できれば直線が決まる。点が3つ特定できれば普通は平面が定まる(一直線になることもあるが)。 後進に負けた事例が3つそろったのでその「平面」を割り出してみようと思う次第。

(つまり、これを読んでいる貴方が将棋をまったく知らないとしても、まあ、3年も勉強すればハナーと将棋で会話できるくらいにはなるということだ。私の成長の遅さはダテではない。「寄り道が多いからだ」と長兄には良く言われているが。)

将棋を単に「知っている」というのと将棋を「ある程度指せる」(アマチュアレベルで)というのには結構な差がある。いわゆるネットで知識だけ豊富でも実践では使い物にならない人間と同じで、単に駒の動かし方を覚えるだけなら幼稚園児でも可能だ。だが、将棋の世界の頂点には10名のA級棋士がいて、その上に名人がいるところまでの途方もなく果てしない道のりが続いている。

いわゆる「格上」と闘って負けた回数について、私はそこいらの追随を許さない。もう「やわらか戦車」並みである。まずはその「負けパターンの整理」からはじめてみよう。「格上負けパターン」を基準に「後進負けパターン」を分析しようというアプローチだ。分析やジャッジは「基準」がなければできない。

1つ目 長兄に斬り合いを挑み、速度で負けてばっさり斬り捨てられるパターン(南無)。中盤までは僅差の鍔迫り合いに持ち込めたとしても、終盤の「速度計算」で攻防の判断を間違えない長兄と、間違える私の差が出てしまう。

2つ目 作戦勝ちして父を攻めまくるものの、父の城壁に完全に受け潰されて、スタミナが切れたところを槍でぶっ刺されるパターン(合掌)。相手の手を前もって殺すのが父の持ち味である。最近は城壁前で力尽きることは減ってきたが、それでも落城させることはほとんどできていない。

3つ目 最初の隙から母にいきなり突っかかられて受けに回ってしまい、ガードする上から棍棒でぶっ叩かれてミンチにされるパターン(アーメン)。乱暴な将棋といえば母の真骨頂。切れたヤンキーのような将棋である。

・・・なんか書いてたら改めて涙が止まらないや(ウソ)。場合によっては身体的暴力よりも言葉の暴力の方が深刻な被害をもたらすという。「将棋言語」で私はどれだけ「ドメスティックな」「バイオレンス」に遭ってきたんだろう。その・・・家庭的暴力?(頭弱い子か)。 良くまっすぐ育ったよね、俺(え!?)。 「最善を尽くしてもダメなものはダメ」と言う真理。そして「だからこそ足掻き続ける意味がある」という真理を体で覚えさせられてきた。この点はかなり恵まれていると思う。

「どんな状況でも、あきらめず、考え、動き続けるのが生きてる意義だ」と言うのはおそらく一生揺るがないだろう。

将棋は運やランダム要素がほぼ皆無であり、純粋に思考だけを比べあうゲームである。したがって、正確な速度計算を行い、攻めるべき時に攻め、守るべき時に守るようにするのが方針としては常に正しい。問題は、私にとってはその速度計算が難解過ぎるということ。

すえきちさんに負けた時は角を展開して端攻めの奇襲があることに気付くのが遅れてトン死筋で負けた。妹にはこちらが攻防手を放った直後に絶妙の桂馬打ちの反撃があり、それが見えずに負けた。エジンガーさんには攻めの手が見えているのに、防御的な手しか指すことができず押しつぶされた。

いずれも「守りに入っている時」に負けている。自分の攻めのうっかりミスでピンチになることもあるが、その場合はわりとひっくり返せる。ただ守備の失策から崩れると損害が大きく、流れを失い守りきれなくなる。甲子園の高校球児と同じだ。

「まだまだこの相手には負けられない、慎重に行かなければ」という思いが昂じて、攻めるべき時に攻められなくなる。精神的に守りに入ってしまっている。そこに相手の思い切りの良い攻撃を受けて沈んでいる。こちらは萎縮して攻撃の手が「見えているのに指せなく」なっているっぽい。

ボクシングのチャンピオンなどが「守りに入らず、常にチャレンジャーの気持ちでいく」と言っている意味が体感できた。なるほど、こういう状態か。

それでも受けがちゃんと機能していればまだ良い。ところが思考も狭窄状態になり、一手ばったりの受けを指し、予想と違う手を指されて「あ、やばい」となる。特にエジンガーさんとの将棋はそれが顕著で自分で自分の駒効率を最大に悪くする「焦点の歩」を打ってしまっている。しかも指した直後はそれが悪い手とは思っていなかったのだから始末に負えない。まさに「攻防も歩での誤り」である。

同じ攻め潰されるにしても、我らがバイソンで本田さんや豪鬼さんのラッシュに襲われて反撃の糸口もなく、ガードしっぱなしのまま一方的に負けるってのとは大きく異なる。表面だけで見れば似ているが、内面の精神世界で起きている現象は全く違うものになる。

自分では「楽観性には定評のあるハナー」だと思っていた。ところが自分で自分に与えたプレッシャーで自壊、自爆している。「克己心」「己との戦い」というところですでに負けている(相手がそれだけ侮れないところまで成長し、かつ盤面で実際に脅威を与えてきているのも要因だろう)。何とも新鮮な体験だった。

「おお、すげぇ。俺もいっちょまえに重圧を感じて萎縮してたのか。」と言うのが今の感想である。

負けたクセになぜか上から目線で「格上との戦い方」を相手からされていたかどうかを検証してみる(笑)。

その1「折れない心」=不明 ほぼワンサイドで負けたので相手に大した脅威を与えていない。かろうじて「一手差」までは持ち込んだが差があまりにも大きすぎて十分な脅威を与えられていない。ゆえに不明。と言うか、私の心の方が折れそうだ(笑)。

その2「幅広い戦略」=△ 変則的な指し方をしてきてはいたが、アレだけ不自然で棋理に反した形。本来は成立しない。その矛盾を指摘できなかった私が不甲斐ないというべき。感想戦でいろいろと弱点を指摘したけど、「本番でやれよ」って話である。

その3「得意分野一点集中戦術」=○ いったん密着してからは得意の接近戦で徹底的に仕掛け、攻め続けられた。画面の向こうでは震えていたらしいが、きっちりとどめまで刺されました。これは文句なし。

総括:やはり私がもっと追い込んで、そこからの逆転を見たい。いや、見たくない(どっちだよ!)。格上相手に攻め込まれて不利な中、それでもあきらめずに粘り倒して逆転するってのが私にとっては将棋一番の醍醐味である。今回は格上役であるはずの私があまりに不甲斐なかった。次回以降の楽しみとしておこう。

「思考する意志ある限り終わりはない」を正とする。ならば対偶の「終わりとは思考する意思がない状態である」も正となる。

強さにも2種類ある。単純に勝負事に強く勝ちやすいという強さ。そして、敗北や失敗に向き合える強さである。

わざと失敗や敗北をする必要はない。だが、全力で挑んでも通じない相手と闘い、その結果としての負けには得るものが多い。

感情で言えば敗北や失敗はイヤなものだ。良い悪いでいえば悪い結果だ。だが、そこから学ぶことの多さでいえば敗北や失敗は良質の経験値の宝庫だ。

「経験とは何をやってきたかではない。そこから何を学び取ったかである」

さて、敗因分析の続きといこうか。

 ○反省その1「目先の3手を読もう」
レベルが低いと笑われそうだが、実際にその程度のレベルなのだから致し方ない。なんか感覚で20手30手先を見るようになってから、近い未来の読みがおろそかになっている。理想や夢ばかり語って明日の生活費に困る自称「夢追い人」のようだ。差し迫った現実にどう対処するのかは考えねばならない。「感じるな、考えろ!」である。どこかの王子様ではないが「無我の境地」とかいって感覚(手クセ)で指す将棋はよろしくない。

全力で考えて、最善を尽くしたが相手に上回られて負けるのなら仕方がない。相手の方が上手だったということだ。だが、その前に自分の領域で勝手にコケるのはやめよう。

 ○反省その2「大局観、大方針を意識して指そう」
目の前のことに忙殺され過ぎると、将来展望やプランを見失う。その局地戦に勝ったとしても全体で負けては意味がない。メインルーチンとするのはその1だがその2もサブルーチンで回しておく必要はある。どうもメインとサブへの比率が逆になっていたようだ。気が急いていたっぽい。

 ○反省その3「戦機を見よう」
リアルでも盤上でも時期は戦機に通じる。時間は間合いに通じる。体制を整えて、機に非ずとみれば退くのもまた兵法である。

私がゲーム上で出す敵についてある友人に「油断も慢心もしない悪魔超人」と言われたことがあったが、残念ながら油断や慢心がわずかとはいえあったのだろう。なお、プレイヤーより強い敵を出して手を抜いて調整しながら戦うよりも、プレイヤーよりも明らかに弱い敵を出して最善を尽くすほうが好みだ。「ハナーさんの出す雑魚はザコじゃない。どいつもこいつも一発を狙ってくるから心が休まらない」という全く同じセリフにある友人は賞賛を込め、別の友人は苦情を込めていた。

 また、敗因分析をしていて気が付いた。自分が必要以上にその原因を求めすぎていた。精神衛生上、おそらく納得したいという欲求が強く、そんなバイアスがかかるのだろう。度合いが過ぎると冤罪犯人や架空指摘を作り出す危険性があるので要注意だ。

逆に言えば「だから負けるんだ」と戦闘中に相手に錯覚させれば勝てるということか。仮に実力が高くても、悲観主義者、敗北主義者の相手はそれゆえ楽なんだろう。彼らは自ら悲しみや敗北の理由を探しているのだから。前に進みたいのなら、我々は「悲観主義」よりは「退かん主義」であるべきだ。

さあ、一回の敗北でこれだけの文章が書けたぞ。結構いろいろ学びとれたんじゃないかな。敗北にすら意味を持たせるってのはリサイクルと似ている。敗北や失敗も捨てればゴミだが使えば資源になりえる。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。