健常者VS障碍者 幻の対立構図

■健常児に見えるように年賀状写真を何十枚も撮り直したことも 障害児育児特有のお正月の悩み
(AERA dot. - 01月10日 17:00)
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・D(ダイバーシティ)&I(インクルージョン) 「やさしい世界(理想)と強い自分(現実)」

「戦争」「犯罪者」「差別」「いじめ」「セクハラ・パワハラ」のない優しい世界は目指すべき理想だ。だが、現実にはそれらはなくならない。「自分が手を打つ」「自分が強くなる」ほうが手っ取り早いという現実がある。

いじめっ子や痴漢などはそいつらが全責任を背負うのが正論であり被害者が割を食うのは理不尽だ。でも実際にはどうか?いじめられっ子が転校し、女性が専用車両に逃げるという責務を背負わされる理不尽な対策がある。それが「手っ取り早い対策」だからだろう。(強い自分というと語弊があるが「被害に耐える強さを身に着ける」という意味だけではなく「被害を避ける行動を起こす」意味も含まれる。要は「誰が行動をするか?」という主体者の問題である。

いわば憲法9条の理想のような「優しい世界」を目指す努力は推奨すべきものだ。私はD&Iも「目指すべき理想の形の一つ」と見ている。

つまり「自分の出来る手を打つ」こそ現実的解決と言えよう。世界が変わる(世間が障碍者を理解する)のを待ってる間、自分が手を打たないのはもったいないので自分自身も動くほうがより早く理想の世界が来る。

・D(ダイバーシティ)&I(インクルージョン) 健常者と障碍者の境界線
そもそも「健常者と障碍者の境界線」なんて存在しないのではないか? 人間は多面的であって、誰しも健常者の面と障碍者の面を持っている。誰しもどの場面を切り取るかに寄って立場が変わる。どの場面を切り取るかで「一見対立構図が発生する」だけのこと。今は「健常者」に分類されてる人でも、年老いれば目や耳はおのずと悪くなる。何らかの事故で後天的に支障が発生する場合もある。

例えば私が「健常者でござい」とふんぞり返ったとして(まあふんぞり返らなくてもいいけど)眼鏡を着用してる時点で視力に関しては障碍者とも言えてしまえるわけだから、境界線も対立構図も単なる幻にすぎない。

ある部分において「対応できる人」「一定の補助が必要な人」「補助があっても対応できない人」という3つの区分があるのかなと。たとえば「電話での音声通話」という場面で言えば
「対応(音声通話)できる人」=聴覚者
「一定の補助が必要な人」=難聴だとか知的だとか精神だとかの理由でそのままでは通話できない人物
「補助があっても対応(音声通話)できない人」=聾者

世間一般で一口に「障碍者」と言ってしまう区分がそもそも大雑把すぎるのだ。「この場面では支障があるが、他の場面では何ら支障ない」なんて人がほとんどだ。で、「支障がない人」には「支障がある人」の苦労や困難が実にわかりにくい。(私自身ストレス耐性が異常値が出るほど高いので「自分が平気」という理由で、無自覚に周囲を傷つけてしまうことが多い。気を付けてはいるのだが)

「優しい世界実現」の為には、主に「健常者」側がそれを想像し、理解する努力が必要だ。そして、それにはおのずと「限界がある=努力目標」ということだろうか。

・少数派(支障がある人)から多数派(支障がない人)への働きかけ方における「感情の用い方」

たしかに少数派は多数派に理解してもらえない場面は多い。それでも、その憤りの感情を晴らすことを目的化しないほうがよい。民主主義の社会では、多数派と少数派がもし感情的に対立してしまうと少数派の不利は否めない。

仮に主張してる内容が正論だとしても、感情的に攻撃的な物言いをすれば折角の正論が曇ってしまう。多数派にだって感情はあるので、素直に受け入れてもらいにくくなる。つまり、感情的に激することなく「冷静に相手を説得して味方につけること」を考えるのが良いのではないか。むろん、感情を全否定するわけではない。感情のパワーは強い原動力となる。ただ、あくまでも「行動の原動力」に用いるべきであり、相手にたたきつけるのはもったいない。

「良薬(正論)口に苦し」とかいって、相手に理解してもらう努力で手を抜いては実にもったいない。むしろ、良薬(正論)だからこそ冷静に相手に飲んでもらえるように「工夫をすべき」だ。せっかくの良薬正論も攻撃的なオブラートにくるんでしまうと途端に飲みにくくなってしまう。消化に余計なエネルギーが必要になってくる。それはどうにももったいないことだ。良薬正論こそ相手が飲みやすくなる工夫もするべきだ。

あなたの主張が本当に「良薬(正論)」ならば、飲んでもらえさえすれば、自ずと効果を発揮するはずなのだから。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。