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私は学生時代、「何でも診療できる医師」に憧れを抱いていました。
現在であれば総合診療科を志すのですが、当時、母校である富山医科薬科大学(現在の富山大学医学部)にはまだありませんでした。
そこで、総合診療科のイメージに近く、国立大学で全国唯一の和漢診療部に勤務することにしました。和漢診療部というのは、漢方医学と現代西洋医学を併用したり選択しながら治療を行うところです。

和漢診療部での研修医時代、指導医のもとで和漢診療の基礎である患者さまとの接し方、診察と治療、和漢医学の古典について多くを学びました。
患者さまの治療方針は、血液検査や画像検査のデータを主体とせず、問診や触診などの診察をもとに決めていきますので、ていねいに診察することを身につけることができました。
この経験が、現在の私の診察スタイルの基盤になっています。

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医師となった2年目から、茨城県の辺境にある関連病院で3年間研修しました。そこは、大学からは「鹿島砂漠」という別名で呼ばれていました。
医師の数が極端に少ない地域で、野戦病院のようなところでした。
着任早々から週2回の再診外来、半年後からは初診外来も任されました。
入院病棟での業務は、担当患者さまの診療のほかに、動脈血採血、抗がん剤の調製と点滴、人工呼吸器の管理、急変した患者さまへの対応など、休む間もなく仕事をしていた思い出があります。

疾患は肺炎、肺癌、生活習慣病、心疾患、慢性腎炎、悪性リンパ腫など多岐にわたり、重症度もさまざまでした。
年齢が30歳ほど上のベテラン指導医の助言の下、日々修行と考えてやり抜くことができました。
一方で、腰を据えて自己研鑽する機会に乏しく、物足りなさを感じていました。

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その後、新潟県で仕事をすることになり、現在で16年が経ちました。
そのうちの14年間勤務した長岡赤十字病院では、リウマチ科、内科(膠原病・腎臓)、透析、総合診療科の診療をさせていただきました。
ここでも「生涯一研修医、日々修行」の信念で、多くの方々にご指導をいただき、リウマチと総合内科の専門医資格を得ることができました。
エールホームクリニックには、今年4月から内科医1名(リウマチ指導医・アレルギー専門医・総合内科専門医)、小児科医1名(小児科専門医・腎臓専門医)、皮膚科医2名(ともに皮膚科専門医)が新たに加わり、計6名となりました。

クリニックでは、患者さまに常に適切な医療を提供するため、医師や医療スタッフがチーム体制で診療を行います。
私よりずっと若い、尊敬する最高のスペシャリストたちから直接ご指導をいただける機会に恵まれ、自身にとって余りある幸運だと感じるとともに、これまでと全く違って、修行ではなく、ワクワク楽しい日々を送らせていただいております。

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新たな指導医たちの下で研鑽を積みながら、私は生涯一研修医として、「歩、と金成らず」の精神で精進して参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

アセット 8


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