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1年で港区OLを辞めて田舎で介護を始めたわけ

私は今、田んぼに囲まれた場所にある特別養護老人ホームで、ケアワーカーとして働いています。この仕事を始めて丸2年になろうとしています。社会人としては3年目。一社目の仕事より続けることができて、すこし、ほっとしてもいる、そんな、今です。

介護の仕事はすごく楽しい。私はすごく好き。大変なこともつらいことも理不尽さにキレたくなるときもある。それでも、楽しい。ヒトという生命体としてのその人。○○さんという生活体としてのその人。いろんなことを考えて、その人にとっての暮らしを一緒に良くしていく。すごくクリエイティブなことだし、常に思考と実践が一緒にあって、トライアンドエラーの連続で、たくさんの学びが常にある。そんな現場が私は大好き。

こんなに私が大好きだと自信を持って言えるのは、間違いなく、前職の1年があったからだと思う。とてつもなくしんどかったけど、でもあの1年のおかげで、間違いなく今の私がある。

前職は東証一部上場企業で、人材紹介をやっている会社に勤めていた。東京タワーが近くにあって、とても綺麗だった。新卒でこの会社で働こうと思ったのは、自分に無いものが補えると思ったから。

就活の時に「あなたは自分の好きなものを選んで自分の合う環境で生きてきたようにみえる。でもそういう環境での成長ってそれまでだよね」とどっかのベンチャーの人事に言われたのがめちゃくちゃ悔しくて。成長=できないことができるようになる、ことであるなら、自分ができないことがたくさんありそうな会社に入ろうと思ったわけです。どちらかといえば、やりたくない、楽しくなさそうな方を選んだ。

実際やってみて、本当に楽しくなかった!!!!一緒に働く人も会社のことも大好きだったけど、自分の仕事が本当に好きになれなかった。なんでこんなに頑張れないんだろう、自分は何の役にも立ててない、そんな思いでいっぱいだった。

私は介護職の人材紹介の部署で働いていたのですが、介護って常に人材不足って言われているし、資格が無くてもできる仕事でもあるから、それはもう、本当にいろんな人と出会いました。「この仕事に誇りを持っています」という人もいれば「介護なら働けると思って」という人もいる。いろんな特性を持って今までどこにも働ける場所を見つけられなかった人。そしていろんな施設、病院。

私は中学生のことから親戚が介護を巡って揉めていたり、高齢者関係にはずっと興味があった。大学生の時には高齢者がたくさん住む団地に1週間くらい合宿に行ったり、高齢者と大学生が交流できるサロンを立ち上げたりしていた。だから介護の部署で働けたのは本当に幸運だったし、だからこそいろんな葛藤があった。

実は、就活の時、高齢者介護の会社の内定も持っていたんです。辞退したのは、人材紹介の会社を選んださきほど述べた理由が一番なんだけど、やっぱり正直「介護っていつでもできるしな・・」という思いがあったから。自分があえて選ばなかった選択肢を、紹介するって、どうなんだろう。

決め手になったのは私の大好きだった上司に「そういう思いで働いていることがお客様にとって一番不誠実だと思う」と言われたことだった。ああ、そうか、と。不誠実にお客様に向き合う自分は、何よりも嫌だった。

誠実ってなんだろう、とは思う。でも、今の自分は誠実ではないな、と思った。苦手なことに向き合っているように見せて、心のどこかでは、「でも本当はやりたくないことだから・・・」と逃げていたんだな、と。

だから、自分なりの誠実さを持って働きたい。自分がちゃんと、やりたいことを、やろう。そう決めたら、あとはもうあっという間だった。1ヶ月以内に今働いてる特養に決めて、会社を辞めた。   


決め手となった上司から最後に「次の職場ではちゃんとお客様を幸せにしてあげてね。」と言われた言葉はずっと張り付いてる。

今、どうなんだろう。幸せにしたい、というより、幸せと思ってくれたらいいな、という感じが近いんだけど、でもそんなことを毎日思っている。

もし、新卒で介護の仕事を選んでいたら。それはそれで楽しく働けたと思う。でもきっと、会社員として働いていたらどうなんだろう、とか、このままでいいのかな、とか、そんなこと思ってたと思う。今ほど胸を張って、介護の仕事が楽しいと言えなかったんじゃないかな。

日中ずっと歩き続けている人。あらゆるものが食べ物にみえる人。1日ベットの上で一言も話さない人。枯れるように亡くなっていった人。ある日突然亡くなった人。どこにいても、いろんな人がいるなあ、と思います。

私はこの現場で、私なりの誠実さで、仕事と向き合いたい。



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