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普通の人の普通の人による普通の人のためのデータ解析

「リスクコミュニケーション」とは特定のリスクについての情報を、利害関係をもつ人たちの間で共有することだそうです。

この言葉を聞くようになったのは福島の原発事故ぐらいからです。福島の原発事故では発生する放射線の健康影響について専門家と普通の人々での間で認識を共有することがいかに難しいか経験しました。

放射線のリスクを理解する為には放射線の物理、生物学、病理学などを理解しなくてはなりません。専門家はその分野で長年研鑽を重ねてきた人たちです。生物学、物理学、数学の基本的知識に関しての専門的な教育をうけ、毎日のように、放射線を取り扱い、ネズミや細胞をいじり、国内外の研究者と論文や学会で議論を戦わす。こういう生活を何十年も積み重ねてきた猛者です。

こうして出来上がった学問的体系を普通の人々と完全に共有することなど不可能といってもいいでしょう。ですから、普通の人は専門家という肩書き「大学教授」「ノーベル賞受賞者」「医者」といった権威を信用して彼らの意見を採用して自分の行動を決定します。

しかし、彼らの意見が正しいとは限りません。彼らは国や企業からお金をもらって研究し生活をしているわけですから、その意見にはスポンサーに有利になるようなバイアスがかかることは当然想定されます。実際、国や企業は彼らの肩書きや権威を世論形成に利用しているのです。逆に、福島では国や電力に有利な意見をいう専門家は専門的には的を得たことを言っていても「御用学者」として排斥されました。

しかも、彼らが全て同じ意見を言うのではありません。いろいろな意見が出てきてそれをあれこれ議論してより確からしいものに近づくのが学問の過程です。しかし、ふつうの人にとってはいろいろな意見があっては混乱するばかりです。

2020年から始まったコロナ騒動はリスクコミュニケーションという点で原発事故と酷似しています。ウィルス学や公衆衛生という極めて専門性の高い学問分野について、専門家と称する連中が毎日のようにメディアに登場して正しいのか正しくないのかわからない様々な意見を述べています。国や医師会の意見と対立する意見は「デマ」と呼ばれて排斥されます。医者や国の権威が失墜し国民は何を信じて行動したらいいのか判断できない状態です。

このように専門家の権威が失墜しその言動に身を任せることができなくなるとふつうの人々は自らこの難解な専門分野に分け入らなくてはなりません。専門家やメディアによる押しつけのバイアスから逃れるためにはなるべく生のデータに近いものを自らの手で分析、解析してアウトラインだけでも把握するしかありません。

厚労省は毎日のように感染者や死者数のデータを出してくれます。ネットをみれば様々な論文を無料で読むこともできます。そこでこれらの生のデータを自分で眺めてみることにしました。もちろんこれらのデータや論文を専門家のように分析し読み解くことは普通の人には難しいのですが、素人なりに解析してみても隠されたメッセージがみえてきます。

このブログでは専門家ではない普通の人の目線に立った「普通の人の普通の人による普通の人のためのデータ解析」を試みてみたいと思います。