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ただ朝日が見たかった


職場の売り場に、女子高生がいつも1人で何も買わないんだけど、ただ物を見つめたり、たまに触ったり、それを戻したり、次はドリンクホルダーのところへ行き、開けて閉めて、結局は何も買わないんだけどそうやって2分、3分くらいの時を過ごしていく女の子がいる。
見た目は普通。普通というのもなんだが、普通にひとつ縛りで、身長は小さめ、体型も細すぎず太り過ぎずで、おとなしそうな感じ。


私は仕事が朝番と早番があって、朝番だと、5時半の電車に乗る。その電車に何分か揺られると、多摩川が見えて、この時期本当に早朝の多摩川越しに見える朝日が綺麗で、綺麗で、なんとも言えない気分になる。
いつから、朝日を綺麗と思うようになったのか。
自堕落な生活をしているもう1人の自分が、こんなザ健康的な生活をしている自分に対して感心しているのか何なのかわからないけど、ただ最近、朝日を綺麗だと思ったり、森の中に囲まれてギャー(いい意味で)って思ったりと、人間が作ってないものにえらく感心するようになった。

ちょうどホーム側の電車のシートに座ると、多摩川越しの朝日が見えるんだけど、その日はたまたまそこに人がいっぱいいて、綺麗に等間隔空けられてたから、その男性たちの間に座ることを躊躇して、反対側の方に座った。
いつもなら、まー、立ってドア付近で朝日を見ようとなるのだが、その日はあまり眠れなかったのかどうしても立っていることが辛くなって、朝日を見れないことを知りながら、反対側のシートに座った。

それでも、多摩川が近づいてくると、朝日がやはり見たいと思い、今立つか、座ったまま朝日を見ないか等と頭の中で考えていたが、一度座るともうお尻が離れられないって感じだったから、そのまま座り続けた。

そんな日に限って、いや、どんな曇りでも雨でも朝日を見たいんだけど、その日はちょうどいいお天気で、すっごい綺麗な朝日が出てきていた。
座りながら、やはり見たい気持ちを押し込められず、首だけ動かしながら反対にある朝日を見ていた。

ずっと見ているのも疲れるからたまに普通の首の位置へ戻したり、また見たりを繰り返していた。
その最中、右隣で本を読んでいる男性が、何度か私の方をチラチラ見てきた。
おそらく自分になんのようだ、なんかおかしいのか、なんだこの女は、てきな反応だったと思うんだけど、
私は至って、普通で、ただ朝日を見たかったわけで、別にあなたの本なんて覗く気もないし、ただ純粋に朝日が見たいんだ、と心の中で思いながらも、まー、私がこのおじさんの立場なら、おじさんと同じように、なんだこの左隣の女は、と思うだろう。

私の左隣にいた男性も私より先に降りて、けっこう、職場の最寄り付近になると、等間隔空けられていたシートは満席に近かったのだが、私の両隣だけ空いている状態になった。

私はただ朝日が見たかっただけなのに。

まー、無理はない。5時半の電車で、朝からキョロキョロしている女の隣に誰が座りたいと思うのか。

極め付けに、右隣にいたおじさんが、私より先に降車する時、ドア付近で最後にチラッと私を確認していったのはしっかり覚えている。目があった。

この件以来、私はなるべく朝日をみるなら、見える側のシートに座ろうと思ったし、そちら側のシートが空いていなかったのならば、立って見ようと思った。

キョロキョロしている私が悪いわけではない。
不思議がるおじさんが悪いわけでもない。

ただ、不思議がられてもいいのなら、キョロキョロしてもよいし、そのおじさんに不思議がられたくなければ、キョロキョロはやめて、ちょっと辛抱しながら立つという選択を取るしかない。

話は戻して、女子高生の件だ。彼女はよく来る。相変わらず何も買わない。同僚が「最近変な女子生がいる」と言っていた。何も買わない、ただ触る、そして去る。べつに奇声をあげるわけでもない。盗むわけでもない。
彼女にとってのその行動は、彼女自身では普通のことで、ただ何かを見ているだけ、そう私のように朝日を見ているだけなのかもしれないが、私の同僚にしてみれば、それは怪しい行動で、疑いを持たざるを得なくて、おそらくやめてほしいことなんだと思う。

それは私が、朝日をわざわざ首を曲げで見ることと同じで、おじさんも、別に迷惑ではないのだがおそらく気分が良いものではないのだろう。

あの白い眼鏡をかけたおじさんは今でも私を覚えているのか、いや覚えてはいないだろう。
あの女(私)のことはもうその日の晩には忘れているだろう。

ただあの女の、私は、おじさんから向けられた目線を忘れはしないし、ああこの感じは、あの女子高生と何かリンクする部分はあるのかなと感じた。

実際にあの女子高生が何を思って、私の職場をふらついているのかは分からないけど。

人に迷惑をかけてはいけないとよく言うが、人に怪しまれる行動もしてはいけないのか。私たちはどこまで相手に気を遣って、空気を読んで、行動しなければいけないのか。
私は別に、普通の人間で、友達もいるし、家族もいるし、犯罪歴もない。ただ朝日が見たかっただけなのに、でもそうやって、ただ〜〜〜したかっただけなのに、が他人にとって不快な気持ちにさせたのならその行動を改めなければいけないのかもしれない。わからない。

この感情がわからない。おじさんに迷惑をかけていない私は別に反省もしていないけど、自分の行動が怪しいとダメな気もする。
おじさんに怒っているわけではなく、ただ、もっと寛容に朝日を見させてほしかったわけでもない。

自分でもどうしたらいいか分からなかったこういうときってたまにありませんか?

女子高生は、今の世の中、あまり商品を触るのは良くないのかもしれない。無駄に冷蔵庫を開けるのもよくないのかもしれない。でも盗もうという気持ちは全く無さそうだし、ただ何かを探しているのかもしれない。何かとは、その商品じゃなく、もっと別の何かを。

変な人って一括りにされる人が多くいると思う。
電車での私は変な人だったかもしれないが、職場や友人の前ではおそらく変な人じゃないし、その女子高生だって、私の同僚からしたら変な人かもしれないが、私は変な人だとは思わなかったし、その子の家族からしたら変な子ではないだろう。

変な人は、全部が変なわけではなく、ただその部分だけを切り取ると変なだけで、もっと周りの面は変ではなく、至って大多数が同意を得るような部分もあるだろう。
変って一括りにしないで、とか言いたいんじゃなくって、ただ、私は多摩川越しの綺麗な朝日を見たかったんだと声を大にして言いたい。

世の中変な人っていっぱいいると思う。
その変な人の中には悪人もいるし、犯罪は犯さないけどなんかどっか変とかね、

ただ、一昨日乗った5時半の電車で、私と同じようにドア付近で朝日を見ていた60越えのキャップを被ったおじさんがいて、なんとなくウワーってなったことは忘れない。勝手に同志だと感じた。
どこかに仲間はいると実感した。
同志だけが全てじゃないことは分かっているが、やはり人間、同志を見つけると自分が認めてもらってるようで、今日も生きられる。

あちゃちゃちゃちゃ〜。