見出し画像

自己紹介と歴史

この記事はただの自己紹介です。こんにちは。

1979年、新潟県三島郡(現:長岡市)に生まれる。

幼少期は野生児

田んぼの広がる長閑な土地。日本三大花火の長岡祭りが行われる市です。
夏は暑く冬は大雪。
私の実家は市街地までバスで30分。しかもバスは約4時間に1本。最終バスは19時半。
雪が降るとダイヤが乱れすぎて、最悪バスがこない。それでもバス会社にクレームや文句を言うヒトはいない。そんな場所で野生に、忍耐強く幼少期を過ごしました。


大学で東京へ

長岡高校を卒業して、一浪ののち東京の某女子大学に入学。
初めて渋谷に降り立った日は、今日はきっと祭りかなと思った(普通の休日でしたけども)。なぜなら長岡で唯一ひとで溢れる日は、日本三大花火の1つである長岡祭りの日だから。冬でもスニーカーが履ける喜びはひとしおでした。
田舎娘にとって、東京生活は自由そのもの。ちょっと働けばお金は入り、やりたいことのチャンスはどこにでも広がっている。籠から這い出た血気盛んな鳥のようにそりゃ自由に羽ばたく私でした。
大学時代は、バイトとダンスで過ごした4年間。124単位ぴったりで卒業。勉強もまあやりましたよ汗!

サラリーマンはじめました

卒業後、コールセンター大手に就職。
大学は就活を見越して目的をもって専攻を学んだわけではなかった。途中でダンスを仕事にしようと本気で考えていたから、これといった興味ある業種もなかった。
ただダンスの恩師に、働くなら営業をやれ!人生は営業だ!と叩き込まれたので迷うことなく営業を志望。楽しそうとか、花形で目立ちたいとか、夢や希望があったわけではなく、営業をやれと言われたから疑問にも思わなかった。ある意味他力本願。
就活はすべてが知らないことだらけで面白かった。最終的にベルシステム24という会社のポリシーとか雰囲気とか働いている人で決めた。そしてこれが結果としては成功だった。
その代わり一生懸命働きました。そして仕事は楽しかった。コミュ力はあるほうだったので、無知な私は「聞くは一時の恥きかぬは一生の恥」をモットーに、たくさんのひとい聞きまくり、必死で仕事をしたらそこそこ結果が出て周りが評価してくれた。
お客さんからの信頼・期待される→必死でそれに答える→現場や社内の関係者も喜ぶ→というサイクルがただ楽しかった。

結婚と転職_子育てと仕事の両立

いいお客さんといい仲間と出会って、大きな仕事を経験させてもらい、7年たったタイミングで、社内結婚。そして、夫婦で同じ職場は夫がやりにくそうだなと、この機会に初めての転職。
経験を生かしコールセンター事業を含めBPO事業を展開している企業に就職。
2回の産育休をとり、子育てをしながら10年勤める。ここでもお客さんと同僚に恵まれ、慌しくも山あり谷あり楽しくも余裕のない日々を過ごす。

母の死と人生を振り返る

2019年9月に最愛の母を膵臓癌で亡くす。闘病生活は2年半。心の支えだった母が息を引き取る姿を見て、人生の儚さと尊さを学ぶとともに、自分の人生を振り返ると同時に母としての自分のこれからの人生を思う。俗に言うターニングポイント。

2度目の転職

40台に突入しこの先いよいよ転職も厳しいかな言う気持ちと、母の死、下の子の小学校入学、などのきっかけがあり、10年きっかりでお世話になった会社を退職。
事業とヴィジョンにひかれ、BtoBのSaasを提供する企業にSalesで入社。

コロナ騒ぎもありつつも、毎日高出力で進行中。
しいたけ占いを行動指針に日々精進。

生かされていることに感謝!



参考過去記事:好きなものについてはコチラ



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?