ハシワタルベカラズ
「このはしわたるべからず」一休さんの有名なお話である。
この物語は ”端を歩いてはいけない” と読み替え ”真ん中を堂々と行く”という頓智が効いたお話であったと思う。今の世の中「どちら側をどの方向を目指して歩くのか?」と問われる風潮がある気がしてなんだか落ち着かない。正義は相反している両方にとって大切な正義であるから、どっちに賛成するのかという問いがあるだけで根本的に解決しない。一休さんのように堂々と知らんぷりしながら真ん中を歩いてみたいものである。中道とか中庸という概念がそれに相当するのだろう。
私の最近のお気に入りは「なんでそんなんプロジェクト」という岡山県にある生活介護事業所「ぬかつくるとこ」が繰り広げているプロジェクトである。
このプロジェクトに表わされているのは、まさに真ん中を行くために『ツッコミ』という形の柔和さで正誤による判定をしない関わり方をユーモアを持って構築していく手段であり、私が惹かれるところである。
仕掛け人の一人、高知在住の美術家・土谷享さんはこう語っている。
早急に答えを出すことに慣れてしまっている私たちは、何かを選択する、早く決めてブレない、自分は何者かと心を落ち着かせようと焦りの中にいる。またそれは自分軸とか自分らしさと変換され評価対象にもなるから厄介だ。問題や課題をそのままに置いて、時には余白を持っていつもと違う視点を持つ時間に使ってみるのも粋であると思う。
長男が日常生活の中で動くきっかけをつかむ時は体重をかけ傾きながら身体を預けてくる。動く回数だけ繰り広げられるこの行為の中には大変さだけではなく「なんでそんなん」という笑いと愛があると気づいた。「傾斜角マイケルなみ」と名付けたこの行為の投稿は多くの人に届いた。
長男は重度知的障がい者であった。故になのかもしれないが、彼は他者からの評価や何かに影響されることなく、誰にも媚びず、何にもよらず、”好きなものは好き”と堂々と真ん中の「今ここ」を生き歩いていたと感じる。どれをとっても私には真似ができない。私は共に居て多くの視点変換の機会に恵まれていたのだった。彼は私の人生において大きな視点の変換をもたらしてくれた「利他」の人であると受け取っている。