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春は悲しき

春の芽吹きの時期が終わりに近づいている。草木は鮮やかに緑をたたえ夏の訪れを感じさせている。清々しい。

私にとっては”もの悲しい”季節でもある。

春に向かう2月には関市で初の開催となるアウトリーチ展(主催 TASCぎふ、NuNo SEKI)から始まり、なんでそんなんエキスポなど、”春とひとのあわい”にいる長男を今年も強く感じることができた。

1年前も同じような”もの悲しさ”を感じる時期であった。そして今年は母親が逝った。母が逝った春も息子が逝った春からも”今”は未来。未来は現在から時間軸で遡った時に立ち上がる。すなわち過去から見た現在でしかない。今も刻々と進む現在と過去を量産しながら生かされている。未来という確定したものはなく、ただ今の積み重ねであることに気づく。過去をどう生きたか、未来をどう生きるかよりも今をどう生きるかを問われている気がする。

息子の感触と温かさが日々薄れゆくことに不安を抱きながら今いまを過ごしてきた。この1年間、強烈な彼の”生”を感じ春を迎えることが出来たのはとても嬉しかった。感じさせてくれる周りの人たちにも感謝の念が絶えない。しかし、いつしか周りの人たちは彼を忘れ去ってしまうのではないかという恐怖も感じながら、自分というものに今いまも戸惑っている。

そして春が終わり夏に向かおうとする今、昨年と同様の”もの悲しさ”に襲われている。1年前のnoteにはその”もの悲しさ”の気持ちを書いた。

しかし、経過した1年前の過去から見た現在という未来は予想できるものではなかった。多くの人たちとのつながり、身内を含む多くの新しい人たちの感性との出会い、そして重ねるであろう未来の予想。それが形となっていく姿を思い浮かべながら今を重ねていく糧となって表れている。昨年から今年にかけて様々な事業にお声がけいただき、家族や友人たちと共に行う活動の幅は広がりを見せている。

TASCぎふ(岐阜県障がい者芸術文化支援センター)R3年度事業報告書

TASCぎふ、中部学院大学連携事業に参加

渾沌の中の調和展 主催:TASCぎふ、NuNo SEKI(代表大野)後援:関市

岐阜県が関市とNuNo SEKI 等の市内団体を提携先として見ている

私は社会的に有益なそうなことをしたり、社会的インパクトを与えることに関心はないはずである。ただ今いまをどう表現していきたいかを感じていきたいと願っていたにすぎない。未来は不確定なのだから。

私たちを取り囲む人や物は常に今いまを移ろいゆく。それに一喜一憂したりとらわれることなく、既に自然に抱かれている彼を悲しみや痛みも抱きながら感じることが彼の”ぬくもり”を薄れさせないことであり、私の表現として表出しているものなのだと感じる。

もの悲しくてもいい。毎年泣けばいいだけである。

季節の変わり目に移ろいゆく自然に咲く花木を見ながら彼を思うことができるのであれば幸せなのであり、それは移ろいゆく今を素直に感じるだけのことなのだと信じていたい。

長男 慧正(享年24歳)

渾沌の世にあって泥々の中で光る。世界は美しい。

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