あかるく生きたいのにそのようにできない、でも最近は暗くもなくなったそのいきさつ:前編(陰陽の陰編)

わたしと最近出会った人はあまり知らないことかもしれない。昔から人に心を開くのは苦手で、でも転勤族だった私は、いじめられたりしないように”面白くて興味深いやつ”とか”テストの点がいいから仲良くなると得なやつ”になってやり過ごしてきた。もちろん地方地方で親友と呼んで差し支えないような無二の友も得てはきたが、向こうがこちらをそのように思っているかは分からない。なぜなら、7月頭に父に通達があると新学期の9月には転勤してしまうような生活の未成年の私には、「一生友達だよね」という約束して安心を得るより、その安心がいきなり無慈悲で物理的な距離によって破壊されることの方が怖かった。一度もそういった確認をしたことが無い。母には一度も「父の単身赴任でいいじゃないか」と言ったことは無いように思う。激務の父は毎晩22時ごろ帰宅し7時ごろ家を出ていたので、母に「父と離れ離れで暮らせ」とは到底言えなかった。確かそのころ37歳の母は孤独に苛まれ過呼吸がよく出ていたように思う。救急車も何度か呼んだ。

さて、そんな私はそりゃあもう、あたりまえのように20代前半で(一時的ではあるが)鬱になった。軽度ではあったように思う。というのは、その時点で”これは医者にかからないとまずい”と自ら判断し医者に向かうことができたという事実と、私より明らかにヤバい(と今ならわかるが当時は分からなかった)雰囲気の、彼自身も鬱なのだろうなというような状態の医者から「甘えだ」と言われ「とりあえず」と抗うつ剤の処方箋をもらった…という不信感で、「本当は病気じゃないのでは」と逆に(?)自信が湧き、処方箋をもらわず結局自己セラピーもどきとアニマルセラピーもどき(その時期に猫をもらった)でどうにかした、という2点のいきさつがあるからだ。

ただ、その当時の私は、26時に就寝し14時に目覚め、16時まで食事をとるとまた眠り、21時ごろ目覚めて食事をとり、すこしだらだらして、26時に就寝するという状態で、もちろん無職で半年ほど過ごしていたように思う。なので、まあ鬱だったんだろうと思う。快方に向かったのは猫を飼い出したころで、猫を飼い始めたことで「私が死んだらこの子も死ぬ」「これまでのように自分の食事だけ稼ぐのではだめだ」と、心の(仕事の)支えになったからだと思う。

が、これも不確か。このころの記憶は曖昧で、そのように現在では記憶が処理されてしまっただけで、実際は違うのかもしれない。そのくらい私の脳は寝ている時間以外はあまりものを考えられなくなっていて、14~16時台の食事の時も食べる以外はほんとうにぼーーっとしたままでいた。かろうじて美味しいものが食べたいという欲求はあったので料理はしていたのだが、それもこだわりが強く出過ぎることがあると、真夜中にも関わらず角煮を作り出したり、かと思えば炒め物をする直前に油を熱したまま別のことを考え出して台所を離れ、思い出してあわてて戻ると炎が上がっていたりした。(このときは私以外にも人が居たのと、こういう事故が本当に恐ろしい私は、ありとあらゆる緊急対策の対処法を読み漁っていたので、タオルをびたびたにしてフライパンにピタッとかぶせ、炎が消えたらフライパンごとタライにぶち込んでそのまま水道で流してきちんと鎮火させた。)

あかるく生きたいのにそのようにできないのはもう性格、あきらめろ。こう思うようになったのはでも本当に最近だ。だからまだ馴染まない。これを土台にして生きていくのだなあといった感覚、覚悟ほどでもないし意気込みなんてしっかり地に足ついた確信でもない、でもまあ立ってはいられるな~みたいな、例えるならタチ漕ぎのブランコみたいな土台はできてきた。普通に落ち込む気持ちが勝るときは勝る。ブランコから落っこちたときは痛い。

でもいまは、鬱だったころや周りに馴染もうと必死で居場所を捕まえていたような昔と比べるとずいぶんましになった。なんせ希死念慮はすっかりとついえたのだ。子供の頃も20代のころも、私が立とうとしていた場所は人のブランコの軌道にあって、その人たちが必死にバランスをとろうとブランコを漕ぐたびに私の頭に激突してきているような状態で、頭にブランコがガツガツ当たり続けていたらそりゃあ死にたくなる。

私もせめて怖がらずにブランコに乗るなり、いっそ場所を移して花壇の隅とかで土台を作ればよかったのに、怖がってブランコには乗らず、かといって寂しくてひとり花壇の隅にも行けず、すっかり周りにとっては困った人間だった。

あかるく生きたいのにそのようにできないのはもう性格、あきらめろ。こう思うようになったのはでも本当に最近だ。これは、ある程度回復して仕事も始め、普通の生活サイクルに戻ってきたころに、それでも自尊心の低さと希死念慮のかたまりが変わらず心にうずくまっていた時に、いいことがあったからというきっかけがある。

(陰陽の陽編につづく)

追記:2・21:母の年齢思いっきり書き間違えた。37歳です。修正済み。

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