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凸凹を受け入れる〜頼ること.甘えること〜

今回の帰省中にどうしても
自分の中で整理して
一度アウトプットしたかった
ことがあって。

しばらくバタバタするので
今のうちに書きます。


私は弟が2人いる長女で
いとこも全員男。そして最年長。

やんちゃな男2人を
育てる母を間近でみながら必然的に 

『今どうしたら母は助かるかな?』

と常に空気を読みながら
子ども時代を過ごしていた。

"迷惑をかけてはいけない。
心配をかけてはいけない。
自分のことは自分でやらなきゃ。
お姉ちゃんはしっかりしなきゃ"

と、それが自分の価値観の中に
刷り込まれていたと思う。

人に頼ったり迷惑や心配を
かける自分を許せなかったので

息子がMGを発症したときは
途方に暮れた。

MG息子の年子の妹を
実家で里帰り出産して

生後2ヶ月のときに
名古屋の自宅に戻った矢先に発症、
付き添い入院する事になり。

乳飲子を連れて
まだ友達もいない土地で

夫の協力は見込めない。
母も当時介護があって来てもらえない。

何よりまだ自分の身体も
産後でしんどかったし
まさかの入院初日に生理も再開。

患者本人にはご飯は出るけど
付き添い者には何もない。

ご飯は娘が寝ている間に
コンビニに猛ダッシュで
買いに行くのだけど
選ぶ暇もなく毎回
おにぎりかカップラーメン🍜

娘を母乳で育てていたので
どんどん養分を取られて

当時の私は
ただでさえ痩せ型だったのに
1ヶ月で7キロも痩せて
骨皮筋右衛門状態。



小児用ベッドの上で
親子3人で3ヶ月を過ごした。


1番は息子の心配、
そしてガタガタの食生活、
ナースステーションの前の部屋で
落ち着いて眠れるわけもなくいつも不眠
普通ではない状況で赤ちゃんのお世話。

そんな生活を3ヶ月も送っていたら
退院した頃には
まだ29歳だった私の身体は
ボロボロになっていた。

そこに前にも書いた
友達の訃報が飛び込んできて、
多分あの時私の人生は一度
火が消えかけたんじゃないかとすら思う。

ショックで過呼吸発作を起こして
それが引き金で過呼吸を頻発
するようになり、外出もまともにできない。

死ぬんじゃないかと思うくらいの
苦しさに何度も襲われて

さすがに1人では子どもたちを
みれなくなり母を頼った。

母が来てくれてからは
引きこもり状態になって
1ヶ月くらい
世界が真っ暗になった。

あの時の状態はうまく言葉に
できないのだけど
とにかく全てから色が消えた。

好きだった音楽を聴いても
友達からの連絡も
美しいものを見ても
風も空も美味しい食べ物も

なーーーんにも感じない。

あの経験があるから
心が動くことの有り難さを
実感できたと今は思えるのだけど

当時はそんな風に思えず
ただただ怖くて布団から出れなかった。

それから少しずつ日常を取り戻して
いったのだけど、完全に戻るまでには
時間がかかった。

これは今も引きずっていて、
息子が幼稚園に入園して
最初のクラス会で自己紹介を
しようとしたら
なぜか声が出なかった。

全身から血の気が引いて
何とか喋って
帰ってはきたのだけど

それから人前で喋るのが
私の苦手な事になった。

それ以前はそんな事なかったのに。

人混みもに苦手になったし
高速道路が走れなくなったし
美容院が怖くなった
飛行機にも新幹線にも乗れない

いけない場所だらけになった。

病院でついた診断名は
『パニック障害』

とにかく、それまで
何も考えずにできていた事が
できなくなってしまった事が
ショックだったし
人にも話せなかった。


本当はそんな事なかったのに
人との距離がどんどん広まって
勝手に孤独になって。

でも、諦めたくなかった...
何とかなおせないかと思って
動こうとするんだけど
身体と心がバラバラで動けない。

思い出すと、
本当にしんどかったなぁ...涙

そして、何でこんな事に
なってしまったのか
自分なりの答えが欲しかった。

産後、息子の発病、自律神経の乱れ
栄誉不足。

もう要因となりえる事がありすぎたので
できることは限られていたけど

⚫︎どうにもならない現実
(息子の発病と産後のホルモン、多忙)

⚫︎工夫すれば改善できそうなこと
(自律神経、食生活)

と状況を整理して
改善できそうな部分を
整えようと思った。


私の身体に起こっている事には
中医学が良いのではないか?と
漠然と思っていたので

当時息子が通っていた鍼治療と
ちゃんと気質が診れる漢方医を探して
併用をスタート。

食生活は薬膳や身体の仕組みを
めちゃくちゃ調べて
できる事から整えていった。

マインドフルネスやヨガも
学んで身体を整えていった。

結果、見事に復活。
少しずつできない事が減り
今はもう普段は思い出さない
くらいになった。

心と身体がつながっていること、
自分の心身を健やかに保つことに
意識を向ける大切さ。

改めて実感する出来事だった。

この時調べて学んだことは
子育てにもとても役立ってる。

そしてこの時期に私は
人に頼る、甘える事も学んだ。

周りからの理解がないと
子ども達にも影響してしまうので

話して理解してもらう、
発作がくる...と思ったら
我慢しないで伝える、
そうなった場合、
どう対応してもらいたいかも伝える。

そんな変な人と
付き合いたくない、、、と
思われるんじゃないかと
不安もあったのだけど

それならそれまでだ!
と恐怖は横において
自分に言い聞かせて

理解してもらいたい友人には
丁寧に説明を続けた。

結果、
やっぱり世界は優しかった。

胸が痛むこともなくは
なかったけど
そのほとんどが愛に溢れていて。


最初は誰も知らなかった土地に
たくさんの助け合える友達ができた。

あの時、

辛いときは辛いと打ち明けて
理解してもえないと嘆くのではなく
自分から理解してもらう努力をする。


この事がとても大切だと学んだし
自分がたくさん優しくしてもらって
助けてもらった経験があるから

人にも同じように手を差し伸べ
られるようになるんじゃないかなと思う。

難病を抱えて生きていく息子にも、
しんどい時にはしんどいと言える
大人になってほしいし

大切な人に引け目を感じず
堂々と生きていってほしいな。


甘え下手で
可愛いくない長女代表の
私はきっとあの頃がなかったら

人に頼ったり
甘える事ができるようには
なってなかったと思う。

それがあるから息子に話せる事もあって。

だからこれからも
1人で抱えて辛くなっている人には
迷惑はかけていい、甘えてもいい、
って伝え続けるよ。

いまだにあの頃の闇が
わたしの中から100%
消えたわけではないし
何だか凸凹は残っているようだけど

(一度黒くなったキャンバスは
真っ白には戻らないからね)

想像力の扉が100くらい
開いたのは間違いない。

そんな自分の凸凹を
理解してくれる仲間と仕事をしたり

苦手な人前で話すたび
応援の声をいただける今も
嫌いじゃない😊


頼り頼られ
甘え甘えられ

一緒に泣いて
一緒に笑って


わたしの周りには
そんな優しい世界が
広がっていたらいいな。

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