狼に翼を#3‐2:嘘

少年。上手側より棒鞭を振り回しながら登場。

少年「入れ、入れ、そうだ、僕の言うことを聞いてくれ! そうだ、いいぞ。これで全部か。昨日はなんとも驚いた。我が国の姫君が、あんな所で、あんな風に扱われていただなんて! 悲しい声、聴いているだけで胸が張り裂けそうになる泣き声、そして未だ気高く振舞おうとする立ち方。泣き腫らした目は熟れた林檎のように美しく、細く伸びた足はまるで美しい牝鹿のよう。あの場所でさえも宮殿と錯覚するような麗しさ。そんなお方があんなお顔で、冷たい牢の中に閉じ込められているなんて! やっと見つけた、祖国の仲間。ああ、どうにかしてあの姫ともう一度お話出来ぬものか。こちらに連れてこられてからというもの、あんなに心が安らいだ時間は初めてだ。鈴の音のような透き通ったあの声を、もう一度聴けたなら! そうすれば僕は何十年も呑気な羊たちを牧することさえできるだろう。しかしあの入口には看守がいる。看守がいては近づくことさえ出来ない。先日はたまたま口実があったからよかったのだが。どうにかして看守を遠ざける口実を作らねばならない。そうだ、僕は従順で王にも気に入られた羊飼い。それを利用してみようではないか」

 少年、深呼吸を一つする。

少年「誰か! 誰か助けてくれ! 狼だ! 狼が王の羊を狙っている!」

 少年、上手側に走って退場。

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 看守、姫。看守は下手側より見張りをしながら登場。姫は中央扉より登場。

姫「ああ、こんなにも辛いのは生まれて初めて。あの小さな格子窓から覗いた優しいお声を、あの日聞かなければ! そうすればこんなにも苦しまなくてもよかったのに。もう一度、あの低い心地良い声を聞きたいと願ってしまうなんて。あの懐かしい訛りをもう一度聞きたいと願ってしまうなんて。ここに来るだけで、命を捨てるようなもの。もう二度と会うことは叶わぬと言い聞かせても、諦めのつかない強情な私の心!」

 少年、走って下手側より登場。

少年「ああ、ああ、どうか助けてください!」

看守「そんなに慌ててどうした。何があった?」

少年「狼が、狼が出たのです。羊を狙い、低い唸り声を上げ、忍び寄るのが見えました」

看守「なんだと?」

少年「私は武器を持つことは許されておりません。あるのは、羊を導くためのひ弱な棒鞭のみ。狼には太刀打ちできるものではございません。どうか、どうか助けてください」

看守「分かった。よく知らせてくれた。お前はここにいろ、棒鞭だけでは危険だ」

 看守、武器を取り出して下手側へ走って退場。

少年「……よし、よし! いいぞ! これでしばらく戻っては来ないはずだ」

 少年、下手側階段より上段へ駆け上がる。

少年「姫君、姫君、顔を上げてください」

姫「夢であってほしいと願いながら、夢であってほしくないと願うのは間違ったことでしょうか。信じられない、もう一度聞きたかったそのお声を聞けるなんて! どのようにしてここにいらっしゃったのですか」

少年「この場所で姫も奴隷もないのなら、きっと間違いも正しさもありません。忠実な僕の振りをして、王や召使い達を騙してきたのは、もしかするとこのためだったのかもしれません。こんにちは、姫君。たった今看守は羊の檻へと走ってゆきました。しばらくは戻ってこないでしょう」

姫「小さな檻に閉じ込められているというのに、こんなにも嬉しいとはどういうことなのでしょう。私はあなたを待っていました、二度と来ないと分かっていながら」

少年「やっと見つけたたった一人の仲間、私もお会いしたいと思っておりました。ほんの少しの時間ではありますが、姫君の安らぎとなることを祈っています。これは、今日、王の食卓で出されたパンの半分です。きっとお腹を空かせていると思い、くすねてきました。どうぞ窓の下へ。さあ、どうぞ」

姫「こんなにもよくしていただくなど、私には考えられぬことです。先程、この半分ほどの大きさしかないパンと、二口の水で朝食を終えたところです」

少年「ただの羊飼いの私が腹一杯の肉を食べ、姫君がそのような扱いなどあってはならぬこと。それだけしか手に入らなかったことを悔やみます。明日は必ず、もう少し多く持って参りましょう」

姫「嬉しいお言葉ではありますが、もうあなたを危険な目に合わせる訳にはいきません。一国の姫として、国民に危険を犯してまで食べ物を求めるなど、父上が生きておられたら何と仰るか。私は大丈夫です。これで最後に致しましょう。あなたが無事でいてくだされば、それで良いのです」

少年「このような状況で、まだこの平凡な羊飼いのことを気にかけておられるのですか。私は姫君のお父上にこの上ないほど良くしていただきました。その恩返しをしているだけです。どうか気になさらないでください。これは私のためなのです」

姫「あなたの勇敢さは私の救い、私の希望。祖国で食べたどの豪華な美食よりも口に甘いパンは、きっとあなたのおかげです」

少年「姫君のそのようなお顔が見られたことが、私の救い、私の希望。危険を侵すのもまるで羊を捕まえるかのように容易くなる」

姫「あなたと祖国で会えていたら、どんなに幸せだったでしょう。このような惨めな姿でなければ、あなたに溢れんばかりの礼を差し出せていたのに」

少年「惨めな姿ではありません。立派に戦われた、世界で一番美しいお姿。誰もがあなたを羨み、あなたを讃えるのです」

  舞台上手より、看守の走ってくる音。

少年「楽しい時間は川の流れのように過ぎていきます。看守が戻ってくる音が、向こうから。終わりを告げる鐘のように」

姫「もしも一つだけ我儘が許されるのなら」

少年「必ずもう一度、ここへやって来ます。それまでお元気で」

姫「あなたの未来に、幸せがありますように」

 少年、上手側階段を駆け下りる。しばらくして、看守が戻ってくる。

看守「狼は見当たらなかった。一体どこへ逃げたんだ?」

少年「きっと走っていったのでしょう。あなたが大きな足音をたて、大きな武器を持って走るのが見えたから……」

 少年、堪えきれずに噴き出す。

看守「何を笑っているんだ!」

少年「面白い、面白い! 狼が出た? そんな訳がない! 呑気な羊を見に、ご立派な看守が走る滑稽な姿! 狼はどこへも逃げてはいない、ここへ来てもいないのだから!」

看守「お前がついた嘘だったというのか? お前がついた嘘に、私はまんまと嵌ったというのか? 」

少年「たまにはこんなお遊びもしてみたくなるのです。私の目に映るのは、代わり映えのない羊のみ。たまには人間の慌てふためく顔を見てみたくもなるのです」

看守「お前は頭が良い。王にも気に入られ、目立って悪を計画するような奴でもない。それは俺もよく知っている。いいか、遊びではすまぬのだ。一度だけ機会をやる。もう二度とこんな真似をするんじゃないぞ。二度目の容赦はない。たとえお前でも―王に気に入られたお前でも、命はないと思え」

少年「そのお言葉、胸にしっかりと刻みつけましょう。もう二度と、このような真似はしませんとも」

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