狼に翼を#1:薔薇の花から産まれた天使

 僕は、天使だ。

 天使といっても、もちろん本物ではない。今やテレビで僕を見ない日はない。現在出演中のドラマ、二本。CM、四本。バラエティのレギュラー出演が三本。僕が六歳のとき初めて出たドラマで、「薔薇の花から産まれた天使」などという異名がついた。その時の役柄は、捨てられたことを信じず、好きだったと記憶している薔薇の花を持って母親を探し続ける役だった。結局は母親に追い返され薔薇の花を渡せずに死ぬラストだったと思う。

 昨日、今人気の女優、雅春香にフラれた。僕はマネージャーに禁止されている煙草を家のベランダで吸いながら、車で出ていく春香を見送った。

 多分、この世界で本当に人を好きになって付き合う人など少ないと思う。これは全てステータスなのだ。僕にとっては、今をときめく純情派女優と付き合ったことがある、というステータス。彼女にとっては、薔薇の花から産まれた天使と付き合ったことがある、というステータス。そのステータスを増やすためだけの、道具にすぎないのだ。これまで八人と付き合った。始めはアイドルグループのセンター、次は爆発的人気を巻き起こしたドラマの主演女優、そこから何人かを転々として、そして昨日フラれた純情派女優。とりあえず僕には八つのステータスがあるということだ。

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「さて本日のゲストは、今を翔ける天使俳優、橘遥斗くんです!  よろしくお願いします」

 眩しい照明。目がくらむのを誤魔化すように微笑んだ。客席から聞こえる黄色い声援に、ひょいと頭を下げてみる。先日、収録終わりにエゴサーチすると、橘君と目が合ったと騒ぐアカウントを見つけた。こんなに眩しい照明の向こう側など、真っ白で全く見えていないというのに。

 華々しい他者紹介を、背中を丸めて聞く。なるべく居心地が悪そうに振る舞う。持ち上げられるのは嫌いじゃない。だけど、堂々とする必要もない。若手芸人のMCは、聞いていて眉をひそめたくなるほど騒がしい。

「そんな顔持ってたら、かなりモテるでしょう!  俺もこんな顔が欲しかったよ……」

 いやいやそんな、と首を振りながら、お世辞にも整ったとは言えない若手芸人の顔を真正面から見る。

「遥斗くんの好きなタイプとか、ファンの子は気になると思いますけども……?」
「好きなタイプですか? 僕は子供が好きなので、子供が好きな人がいいですかね。あとは、爽やかな香りがする子。石鹸の匂いとか」

 当たり障りのない、でもピンポイントで、ファンが真似しようと簡単に思いそうなこと。本当のことじゃなくたって構わない。大事なのは、親しみやすさと、好感度と、爽やかさ。無駄に飾り立てず、多くも話さず、隠しすぎもしない。バランスが大事。

「イケメン俳優でも、やっぱり女の子の匂いとか気になるもんなんですね!」
「いやいや、結構そこ重要じゃないですか? 男だったらやっぱり」

 まるで男の代表のように台詞を選ぶ。そうしておけば、男性の共感を得ることが出来る。男女問わず好まれる、それが重要なことだ。先にも話したが、恋愛はステータスだ。つまり、好みも好みでないも関係はない。相手がどれだけ有名か、相手がどれだけ美しいか、相手がどれだけ人気か、ただそれだけだ。匂い、子供好き、そんなことは別にどうだっていい。僕にとってこの答えは、ただファンをつなぎとめておくだけの紐みたいなものだ。ファンが喜ぶ答えは、ファンが勝手に広めてくれる。今の時代は、自分自身が頑張らなくても、ファンが広めてくれる時代なのだ。

「……では最後にお伺いします。遥斗くんが今一番欲しいものはなんですか?」

 金、名誉、地位、それから彼女。そんなものはもう既に持っている。だからこそ胸を張って、堂々と、つらつらと答えられる。

「ファンの皆様の、心ですかね」

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 靴を脱ぎ捨てて、缶ビールを開ける。ガラス張りのバスルームに、ピアスが一つ落ちていた。ああ、春香のだ、とぼんやり思うと同時に、僕の足が出て、その小さな光る石を排水溝へと蹴り飛ばしていた。あとで面倒なことにならなければいいけどな、などと考えているうちに、その光は音もなく排水溝に落ちていった。

 革張りのソファ、大きなテレビと音質のいいスピーカー、五十三階から見るスカイツリー。僕にとっては全部、コース料理のように順番に用意されていた。勢いよくソファに体を投げ出した。じわりと冷たさが全身に広がったあと、ゆっくりと温度を上げ始める。ガラスのテーブルに逆さに映る缶ビールをぼんやりと眺める。

 先月買い換えたばかりのスマホが、ポケットの中で振動した。開くと、マネージャーの鶴田からだった。

『こんばんは。今日も収録お疲れ様でした。明日から舞台稽古がスタートします。台本は明日の朝一にお渡しします。体調を整えておいてください。おやすみなさい。』

 体調を整えておいてください、というのは多分、今日は酒を飲みすぎるな、早く寝ろ、という事なのだろう。僕はスマホの電源を切って、冷蔵庫から缶ビールをもう一本出した。

 するなと言われるとやりたくなるのが人間の性だ。煙草を取り出して火をつける。テレビをつけると、音楽番組で元彼女のアイドルが歌っていた。いつまでたっても振り向いてくれない、と歌っていた。チャンネルを変える。バラエティ番組では、春香が手を叩いて笑っていた。私もお酒好きですよ、気づくと空の瓶が二本に増えてるんです、と笑っていた。春香の耳には、ピアスが片方付いていなかった。チャンネルを変える。一秒で差をつけろ、と栄養ドリンクのCMをする僕は、笑っていなかった。

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