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好きなことで生きていけないから、吠えるしか出来なくなった

 好きなことで生きていけるんなら生きていきたかった。それが許されるんならな。

 好きなことで生きていく。その言葉は現代の希望であって、同時に絶望。インターネットが普及して、誰もがスターになれる時代が来た。どこでどんな形で日の目を見るかなんて誰にも予想出来ない、未来予想図にすら無かった時代。東京にわざわざ飛び出さなくても、パソコン一台ありゃなんだってできてしまう。
 私も、好きなことで生きている人がめちゃくちゃ好き。インターネット音楽と呼ばれる物も大好きだし、YouTuberも大好き。いわゆる『自撮り界隈』にいる可愛い女の子も大好きだし、そっから転じてアイドルになった子も大好き。にわかだけど。

 
 好きなことで生きていくハードルはぐっと下がった。私が生まれた時よりも大幅に手段が増えたから。たった二十年そこらで、夢ってやつは変わってしまった。夢は見るものから叶えるものに変化して、それから最近は「叶うもの」に変わってしまった。夢を見る、夢を叶える、じゃなく、「夢は叶う」になってしまった。それは「好きなことで生きていく」の同意語で、思い描いたことが自分の手で掴めるかのような錯覚を起こさせる。夢をちゃんと掴んだ人達が、各々のやり方で、夢は叶うものだと主張する。それを聞いた私達は、ああなるほど、夢とは叶うものなんだなと思い込んでしまう。そして、絶望する。

 かく言う私も、そうやって絶望した人の一人。好きなことをずっと続けていたらいつか夢を掴めるんだと信じきっていた。おかしいなと気付き始めた頃にはもう遅かった。後にも引けず、今更辞める訳にもいかないという変なプライドだけがじわじわと大きくなった。で、突然そいつが破裂した。そしたら途端に、全てのやる気が消え去った。森羅万象、全てがクソめんどくさい。で、ようやく自覚した。夢は、叶わん。

 もっと早く気付くべきだった。「夢は叶うよ」と言っている人の共通点に。そりゃ夢は叶うはずだ。だってその人達は「叶ってる」んだから。言うなれば、トマトを食ったことがない人に向かって、トマトをこよなく愛する人達がトマトという産物のことを説明するかのようだ。その人達は口を揃えてトマトのことを、「食欲をそそる色をしていて、煮ても焼いても生で食べてもとにかく甘くて美味しい」などと説明することだろう。トマトを食ったことがない人はその説明を聞いたら、ああトマトという食べ物は、この世で一番美味い食べ物なんだなと、そう思うだろう。だが現実はトマトがくっそ嫌いなうえに匂いすら駄目な人だって存在する。やはり人に食べ物をお勧めする際は注意が必要だ。

 話がよく分からない感じになってしまったけど要するに、「夢は叶う」なんて言葉は信じない方がいい。それは猛烈に偏った意見であって、断じて一般論ではない。純粋で無垢な私はその結論に達するまでかなりの年月をかけてしまった。愚か。実に愚か。愚の骨頂。時間の無駄も甚だしいところだ。

 「夢は叶う」を正しく言い換えるなら多分、「一部の才能ある人は運が良ければ夢を掴むことが出来る」だろう。夢もクソも無い言葉に変わってしまったな。
 凡人はやはり凡人で、才能を元々持って産まれてきた人には敵わない。才能を持って産まれてくる人がいるのは事実だ。人間なんて所詮細胞の塊で、父親と母親から貰った遺伝子に組み込まれた設計図に従って形成される。そしてその持って産まれた才を正しく適切に用いる理性と技術を身につけて、ようやく『才能』は開花する。
 努力は才能に勝てるんだろうか。そんな題材を扱った創作物は色々あるけど、結局は創作物でしかない。リアルは無情で、努力は才能に勝てない。努力で夢を掴んだと思っている人は、本当は才能がある。私はそういう共通点を見つけてしまった。才能を持って生まれた人と、努力でどうにかしようとする人の間には、貧富の差と同じくらい越えられない壁がある。

 だけど希望がなきゃ人ってのは生きていけない。だから必要なんだ、夢は叶いますよって歌う人も。そう声を大にして言う人も世界には必要。そんなことは百も承知。
 だけどそれと同時に、夢は叶いませんよってちゃんと言う人も必要なんじゃないか? 夢を見させる人がいるなら、現実を見せる人だっていてもいいはずだ。少なくとも私は、そういう人がいて欲しかった。もっと早い段階で、ちゃんと現実を見せて欲しかった。

 だから私は言おうと思う。夢は、叶わん。才能が無ければ、運がよくなければ、叶わん。
 私は、これを早く知っておけばこんなに絶望することも無かった。多分。十中八九。それに、もっと早く他の道を探すことが出来ていた。もう随分、無駄な道を走ってしまった。後にも先にも、スタート地点も目的地も見失い、現在地がどこかも分からないところで、車がガス欠で止まってしまった。

 もしも今、「もしかして夢って叶わんのじゃね……?」と勘づいている人がいるなら、もう一度言おう。叶わんよ、マジで。だから、あかんかもしれんと思った時点で、別の道も見てみてほしい。私みたいに、にっちもさっちもいかなくなる前に。別の道に行ってみたら、あら不思議目的地に着いちゃった、ってこともあるかもしれん。いや、知らんけど。私はどっかの誰かのケツまで拭けないし見知らぬ人の人生背負えるほどデカくないから自己責任だけど。でも、こういう人もいるんだよ。砂漠のど真ん中に身一つで放り出されてしまった人もな。だからいわば、私が標識になるのも大事なのかもしれん。「この先、行き止まりの可能性アリ」っていう標識に。

 締めの言葉がこんなにネガティヴなのは納得がいかないけど、こう締める以外方法が無い。だけど、負け犬の遠吠えには相応しいね。

 私だって、好きなことで生きていきたかった。

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