狼に翼を#2‐2:奴隷と姫君

少年、看守、姫。舞台中央の扉より姫が登場。下手側階段下に看守。

姫「草木は泣き、鳥は終わりを悟って巣へと戻りました。誰が私を思い出すのでしょう。立派な父を思って泣く彼らは、私も思い出してくれるでしょうか。
ドレスは破れ、冠は刺さり、首飾りはちぎれ、宝石は私の足を傷つけるだけ。私にあるのは、鼠の冷たい足跡と、乾いたパン。きっと私はもう長くないのでしょう。私にできることは、ただ昔の美しいあの国を思い出して涙を流すことだけなのです」

 少年、走って下手側階段下に登場。

看守「待て! 止まれ! お前はこんなところで何をしている?」

少年「申し訳ありません。しかしこうするしかなかったのです。どうかお許しください。まずはお話を聞いていただきたいのです」

看守「お前はあの国より捕虜としてやって来た羊飼いだな。噂は聞いている。有能で、活力に溢れ、言語にも堪能で、王にも気に入られたようだな」

少年「ああ、恐れ多いお言葉に感謝致します。そうです、私は羊飼いです。王の百匹の羊を任されております。しかし先ほど羊を囲いに入れる際、数を数えていたところ、一匹足りぬことに気づいたのです。私をお許しください。一匹の羊も、大きな損失。そうして探していたところ、ここに迷い込んでしまったのです」

看守「仕事を放り出してやってきたのか?」

少年「羊の残りは囲いに入れて参りました。どうかここを探すことをお許しください」

看守「それはできない。この先は誰かが入ることを禁じられている。第一、こちらに羊は来ていない。私はずっとこの場所にいたからな」

少年「しかし、私はこの目で確かめぬものは信じることができないのです。どうか探すことを許していただけませんか。現に、この向こうには羊たちの好む牧草が生えた地があるのです。もしかすると、そこへ向かったかもしれません」

看守「こちらは立ち入り禁止だ。お前がここから先に足を踏み入れることは許されていないのだ。……そんなに言うなら、私が見てきてやろう。お前はここを動いてはいけないぞ」

少年「お心遣いに感謝します。私はここで待っています」

 看守、下手側階段を上がって上段を横切り、上手側の階段から降りる。退場。

姫「せめてもう一度、サファイアのように美しいあの空を眺めることができたとしたら! 床に散らばった宝石の破片が、暗闇を照らす星空であったなら! 心を満たす優しい花の匂いをもう一度嗅ぐことさえできたら! そうすればこの先待ち受ける運命に、ただ身を委ねても構わないのに。このままでは私は、胸を引き裂く後悔だけを抱えて暗闇に飛び込むことになるでしょう。なんて惨めな最期!」

少年「王の羊が一匹いなくなったくらい、僕は構わない。それなのに足が擦り切れるまで野原を駆け回る僕といったら! ああ、なんて惨めなんだろう! ……ことに、どこからか少女の泣く声が聞こえる。もう幻聴まで聞こえ始めたんだろうか。すすり泣くこの声、向こうの方から聞こえてくる。親とはぐれた子供、この世に未練残した幽霊? どちらだって構うものか。運命が呼ぶ声ならば、胸を張って答えてみせよう」

 少年、下手側階段を上がって舞台上段へ。

少年「こんなところになぜ格子窓が? 土にまみれた隙間から、わずかに涙の漏れる音」

姫「もう一度風に揺れる野の花を、大理石の床を鳴らす靴の音を、我が父の優しく呼ぶ声を。この世に別れを告げるには、まだ早すぎるのです」

少年「そこのあなた。なぜ泣いておられるのです」

姫「ああ、あなたのその訛り、懐かしい響き! はじめまして、私が惨めで哀れな、あなたの国の姫君です」

少年「あなたが我が国の姫? ああ、本当に?」

姫「本当でございます。人目に出るにはまだ早いと、宮殿を出ずに暮らしておりました。あと三日で結婚し、女王となるはずだったのに。今ではこの薄暗い牢の中。惨めで哀れな奴隷となって!」

少年「姫と知らずとんだ御無礼を致しました。お許しください」

姫「構いませんわ。こんな所では、姫も王も、奴隷も獣も同じです。しかし危ないのはあなたの体。私とお話になってはなりません。ここは禁止された場所、あなたがいてはいけないのです。見張りの者がいたはずなのに、どうしてあなたがここに?」

少年「私は捕虜として連れてこられ、王の羊を飼う者になりました。その羊が一匹逃げ出したので、それを探しているうちに迷い込んだのです。見張りの者が今、羊を探しに行きました。当分戻ってこないでしょう」

姫「しかしここにいては危険です。どうか後ろを向いて、静かに立ち去ってください。あなたのその声を聞いていると、私はいてもたってもいられなくなります。昔のことを思い出してしまうのです」

少年「私も今、思い出していたところです。あなたのお父様はとても立派で、私達は日々食べるものにも仕事にも事欠くことがなかった。感謝しています」

姫「父上はいつも、それは当たり前のことであると話しておりました。とても立派な、素晴らしい王であったのに」

少年「姫君、泣かないでください。どうか泣くのをやめてください」

姫「あなたが来てくれてよかった。こんなに声を出してお話出来たのは何日ぶりでしょう。ここは薄暗く、寒く、何よりここには私しかおりませんでした」

少年「そのようなお言葉、身に余る光栄にございます。私も、同国の方とお話をしたのは何日ぶりでしょう。私どもは、集まることも禁じられているのです。いるのは呑気な顔の羊のみ。あなたに会えてよかった」

 看守、上手側階段下に登場。

少年「しまった、見張りが戻ってきたようです。私はこれで。どうか、どうかあなたの目に涙が浮かぶ日が少なくなりますよう」

姫「ああ、ありがとう。どうかご無事で」

 少年、走って下手側階段を駆け下りる。看守は辺りを見渡し、階段を上がって、下手側へ降りる。

看守「羊は見つからなかった。役に立てずすまなかったな」

少年「そんなことはありません。本当に感謝します」

看守「もしかすると、反対側かもしれん。反対側にも、この先と全く同じような牧草地があるのだ」

少年「ありがとうございます。そちらを探すことに致します」

看守「お前の真面目さにため息が出そうだ。お前は捕虜の身、憎き王の羊の一頭や二頭、放っておいてもかまわんだろうに」

少年「私は王の羊飼い。従順な奴隷でございます」

 少年、下手側へ走って退場。姫は真ん中の扉から退場、看守は見張りをしながら下手側へ退場。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?