狼に翼を#7‐2:狼少年

少年。

上手側よりふらふらと登場。羊を追い立てる棍棒を引き摺り、しばらく歩き回る。力尽きたように、中央扉の前に座り込む。

少年「昨日は一睡も出来なかった。今日の午後、今日の午後に姫の首は宙を舞う!  一体どうして、こんな時に眠ってなどいられようか。故国に帰ると大仰なことを語りながら、目の前の命の一つさえ救えやしないのだ!  なんて愚かなことだ。あの震える姫君の方が、僕よりずっと勇気に満ち溢れている。草花が枯れる音が彼女を襲い、彼女の眠りを取り去った。雨は体温を奪い、地面が彼女の血を飲もうと喉を開いている。それに気付きながら、それを知っていながら何も出来ない偽善者は誰だ。必ず貴方を救い出し、共に故国に帰ろうと言いながら、何も出来ない偽善者は誰だ。そいつは死に値する! そんなことがあってはならぬ。僕は約束を果たさなければならない。たとえ、たとえ我が身が滅びても。せめてあのお方だけは、あのお方だけは、失ってはいけないのだ。どこかで生きている妹の為にも、帰る場所を作らなければならぬ。そうと決まれば、行動だ。さあ、呑気な羊共!  囲いの中に戻れ!」

少年、羊を棍棒で追い立てながら下手側に登場。暗転。

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姫、看守、家来。

姫、中央扉より看守に連れられて登場。

看守「処刑台の準備は、滞りなく進んでいるようだ。昨日の予定通り、日が処刑台の真上を通過する時間に、処刑を行う。最後の晩餐だ。食っておけ」

家来、看守の後ろより登場。豪華な食事の乗った皿を持っている。

姫「心遣いに感謝します。しかし私はそれを受け取ることはできません」

看守「ほう。食事を取らないつもりか」

姫「ええ。最後の晩餐など、私には必要ありません。ただ、一人になれる時間を。ただこの場で一人になり、自分の気持ちを吐き出す時間をいただければ十分です! 私は姫であり、国を治める者。誰かの世話になるつもりは決してありません。豪華な食事は、この国の王のもの。それを、これから死にゆく鼠が食べるなど、あってはならないことです。お引き取りを」

看守、家来と顔を見合わせる。家来、肩を竦めて、皿を持ったまま退場。

看守「大変高貴だ、姫君。最後の最後まで、貴方は姫であろうとしている。なんとも愚かだ。我が国の王は、叫びを好むと言っただろう。その装いが剥げるときが楽しみだな」

看守、中央扉より退場。大きな鉄の音をたてて、扉が閉まる。

姫「これで、これで良いのです。きっとこれが運命なのです。分かっていました、されどそれを信じることを拒んできました。たとえ私が高貴な姫君だったとしても、こんなにも堂々と演じてみても、私の中に生きているのはただの若者。逃げる道があるのならば、全てを放り出して逃げてしまいたいと叫ぶのです。ああ、私に翼があれば! そうすれば私はどこまででも飛んで行くことでしょう。争いも、剣も、敵する者もいない遠い場所に! そうして、あの人の元へ。愚かにも私のために罪を重ね、死をも恐れなかった勇敢な彼の元へ。彼の功績は、きっとなんの石にも刻まれることは無いのです。彼は誰にも気付かれず、英雄にもなれず、誰も彼の成し遂げたことを知らぬまま。ただ私の中の石碑に名を刻み、そうして死にゆく定めなのです。もう私に時間は残されていません。死の足音が近付いてきます。ああ、必ずもう一度会いに来ると、そう約束なさったのではありませんか。何度も死を免れた貴方が、この日に限って何故お声を聞かせてくれないのですか。あの小さな鉄格子の隙間から、その声を響かせてください。歌うことを忘れた鳥を、鳥籠から放ってはくれないのですか。私に残されたのは、死だけでは無いはずなのです。貴方が、貴方が必ずここに来ると、そう信じているのです。何故今日に限って、私を助けてくれないのですか。ご覧下さい、死の足音が、もう扉を叩いています!」

中央扉がゆっくりと開く。看守が立っている。暗転。
姫、中央扉より退場。

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少年、中央扉より登場。

少年「羊は人ではない。故に声が分からない。聞き分けの悪い奴らだ。飯しか瞳に写っていない。いい加減に囲いの中に入れ!  煩わせないでくれ。僕はいかなければならない。姫を救い出すという約束、勇敢な戦士とならねばならないのだ。おいそこの羊、呑気で馬鹿な奴め!」

少年、棍棒を振りかざして走り回る。

少年「今日の羊は聞き分けが悪い。まるで風の日の野草だ。いい加減にしろ。僕は行かねばならぬと言っているのに! こんな所で時計の針を回している暇はないのだ。しがみつけど進みゆくこの時にも、姫君は僕を待っているはずなのだ!」

少年、ふと何かに気付いたように立ち止まる。耳を澄ます。

少年「……なんだ? 聞き覚えのない声が、森の奥から。海の唸り声、風の怒号、竜巻の怒り、いや、姫の血を待つ群衆か?」

少年、舞台中央へゆっくり戻る。

少年「……いいや、違う。これは、羊の血を欲する獣の声だ」

唸り声が遠くで聞こえる。少年、棍棒を振り回す。

少年「くそっ、どうしてこんな日に限って! まさかこの森に、本当に狼がいるなんて! 戻れ、囲いに戻れ! くそ、それで聞き分けが悪かったのか。お前達は分かっていたのか。分かっていて何故声も出さないんだ。お前達も王の手先なのか。お前達も僕を殺したいのか! くそ、ここで喚いても仕方が無い。不本意だが看守を呼ぶしかない。僕の手には、ひ弱な木の棒しか無いのだから。狼に太刀打ちなど出来るはずがない」

少年、迷うように振り向きつつ上手側へ走って退場。暗転。

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姫、看守、家来。

中央扉が開く。姫は腕を縛られ、家来と共にいる。上手側より、看守登場。

家来「さあ、時間だ。見ろ、外は三日ぶりの快晴だ」

姫「まるで私を歓迎しているかのようです。こんな塵のような私を、太陽は恨まない」

家来「さあ歩け」

姫、家来に連れられて上手側へ退場。それと同時に少年、下手側より登場。

看守「またお前か。今度は何だ、何の用だ」

少年「どうか、どうか来て頂けませんか。本当に、本当に狼が出たのです。地鳴りのような唸り声、羊は怯え、私の言うことにも従いません。今度こそ本当です。どうか剣をお貸しください」

看守「お前には散々な目に合わされた。今回も俺がのうのうと着いていくと思うのか? それに今日は姫君の処刑日だ。故郷を愛するお前が何かを企んでいるようにしか見えん」

少年「今度こそ、今度こそ本当なのです! どうか、どうかお力をお貸しください。これまでの無礼はお詫び致します。どうか、こちらに来て、獣の唸り声をお聞きください」

看守「もう二度とその手には乗らん。いいか、俺はこれから任務がある。お前もそのはずだ。さっさと持ち場についておけ。羊を一匹でも逃がしてみろ。お前の命は無いぞ」

少年「今回ばかりは真実です! 私の口は真実を話しております。命にかけても、神に誓っても構いません。私は確かにこの耳で、血に飢えた狼の声を聴いたのです」

看守「もう良い、お前の言葉には心底飽き飽きさせられる! 俺はもう行かねばならない。二度と俺の前に姿を見せるな。行け!」

看守、少年の首を絞めるようにして下手側へ放り投げる。看守、上手側へ退場。暗転。

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少年。上手側より登場。

少年「くそ……どうして今日に限ってこんな目に。僕の持ち場はここじゃない。僕には使命がある。羊などどうにでもなればいいのだ」

唸り声が近づいている。

少年「僕は、僕は姫君を救い出すのだ。狼がなんだ。僕が背負っているのは国さ。国家だよ。僕は姫君を救い出して、そうして国を変えるんだ。家族も作ろう。父や母は確かにいないが、妹はどこかにいるはずだ。妹を呼び寄せて、幸せに暮らそう。僕達は幸せになるのさ」

狼が近くで吠える。羊が走る音。少年、棍棒を構える。

少年「いい度胸だな、脳の無い獣め! 血に飢え乾き、舌なめずりすることでしか生きていけぬ無様な獣め! お前が僕に何をするっていうんだ。いいだろう、やってやろう」

少年、舞台中央で棍棒を構える。背後の中央扉がゆっくり開く。

少年「さあ、来い。どうせ死ぬなら、堂々と死んでやろうじゃないか」

少年、中央扉に向かって走り出す。扉がゆっくり閉まり、狼の吠え声がする。しばらくして中央扉に、血が滲む。暗転。

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音声。

?「姫君、こちらです。さあ、早く」

?「本当に、本当にこれでよかったというの? ああ、私は耐えられない。どうして」

?「姫君、どうか気を確かに」

?「やはり、やはり戻りましょう。こんな事は間違っています」

?「間違ってなどおりません。姫君、貴方は王族の中で唯一の生き残り。貴方まで失っては、我が国は二度と立ち直せません」

?「国は人より大事でしょうか。王は一人で生きられるでしょうか。こんな事は許されるはずがない」

?「姫君、貴方が泣いてばかりでは、この先が思いやられます。この森の向こう、岩の向こうに、密かに馬車を呼んでおります。もうそろそろ着いているはずです」

?「我が父が私を見たら、一体何と仰るでしょうか。命は取らぬものの、きっと顔を覆ってしまうはずです。我が父は、皆のために死んだのです。私だけ生きている訳にはいきません。しかも、しかも、従順な若き民の子を犠牲にして!」

?「姫君、彼女は上手くやっているはずです。騒乱の中で貴方と入れ替わった。誰一人気づいてはいない」

?「彼女の兄は生きているとの噂を耳にしました。兄上様はずっと彼女を探し続けてしまう」

?「姫君、振り向いてはいけません! 柱が貴方を呼ぶとでも言うのですか。ほら、御覧なさい、遠くで馬の鳴く声がします!」

音が段々と小さくなる。

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姫、王、家来、看守、街の大人1、街の大人2。

暗転時、二階舞台中央にギロチンの用意。街の大人1、街の大人2、上手側より登場。

街の大人1「おい、そろそろかな」

街の大人2「ああ、きっとそろそろだ」

街の大人1「見ろよ、あのギロチンの刃の色気の無い輝きを」

街の大人2「こりゃあ、王様、今回は相当気合いが入ってると見たぞ。あんなにギラギラしたのは今まで見たことない」

街の大人1「あんなのが首を横切ってみろ。想像するのは簡単だ。切り口が真っ直ぐに落ちるぞ」

街の大人2「俺は別に見たかねえんだがなあ」

街の大人1「あんまり大きい声で言うなよ。一応民は全員集合ってことになってんだ」

街の大人2「子供も女も全員集めて、処刑の見せしめだ。ここの王はどうなってんだろうな」

街の大人1「だからって謀反なんか起こしてみろ。今度は俺達の首が吹っ飛ぶぜ」

街の大人2「おい、あれじゃないか?」

街の大人1「きっとそうだ。ついに来たぞ」

姫、看守に連れられ下手側より登場。下手側階段より二階舞台へ。続いて王と家来も登場。

王「静まれ! そうだ、それでいい。隣国との闘いも、ようやく今日終わりの音を告げる。随分と長くかかったものだ。我らの勝利を讃える雨が降り続き、作物までをも祝福してくれた。その雨も降り止み、今日時は来た。見よ、処刑台の上の女神、死を待つ美しき姫君を!」

街の大人1「隣国の姫君はあんなにも美しい方であったか!」

街の大人2「これは驚いたな。殺してしまうのは惜しい」

王「民よ、お前達のざわめきの声は、一つ一つ手に取るように理解出来る。こんなにも美しい姫君の命が、たった今ここで、一瞬して舞い散ろうとしているのである。これほど暴力的で、屈辱的な死を遂げる姫君が他にいるだろうか。まさしく彼女の名は永久に語り継がれる事となろう。偉大なこの王に逆らった、哀れで愚かな国の成れの果てであると!」

大きな歓声と怒号。

街の大人1「こりゃあ王の気合いの入り具合が違うわけだ」

街の大人2「見ろよ、俺達の後ろの愚民達を。聞こえてくるのは、姫君の首を求める声ばかりだ」

街の大人1「そうでもしないと、命がいつ王に捧げられるか俺達には予測できないだろう」

王「さあ、優美な姫君、膝を付け、そうしてその高貴な顔に恐怖と叫びと慟哭を!」

姫、看守に頭を掴まれる。歓声が一層激しさを増す。どこからか聞こえる、笛の弟と太鼓の音。

看守「これでいい。姫君、最後の時が来た」

王「既にお前の命は我が手中にある。さあ、最後の時だ。お前の懺悔を、声を聞かせろ!」

姫「最後に、話すことを許してくださるのですね」

王「なんと、処刑台に繋がれながら、なおも姫であろうとするか。愚かだ。実に愚かだ! もうお前は姫ではない。一国を統治することも出来なかった、ただの女に成り下がったのだ。お前の祈りはもう届かぬ。お前の命は私の物だ! 家族を失い、仲間を失った哀れな子羊よ。泣き喚け。心の中の獣を解き放ち、悲劇に相応しい声を上げて見せろ!」

姫「……ええ、その通りでございます。私はもう姫などではございません。私はただの飼い慣らされた羊、民の一人に過ぎぬのです。たった一人では、何も成し得ることは出来ません。もしも、もし今私に翼があったとすれば、今すぐにでもここをすり抜け、天高く舞い上がったことでしょう。そうして、私はあの方に会いに行くのです。奈落の底で鼠と共に暮らした私を、何度も救ってくれたあの方に。そうです、お声を聞くだけでよかった。いいえ、違います。それだけでは不十分です!  ああ、もう一度明るい場所で顔を合わせ、陽の光の元、貴方と野を駆け回りたかった。貴方の洞話を、もっと聞いていたかったのです。貴方の洞話は、いつだって私を楽しませた。私は、貴方に大事なことを教わりました。そう、上手く嘘を貫き通すことです。貴方が言った言葉、必ず助けに来るというその言葉。今やそれは偽りになりました。ただ、貴方のその言葉が無ければ、とっくの昔に私は、鉄格子の中で自分の命を食いちぎってしまっていたことでしょう。貴方の言葉を信じたからこそ、私は今、姫としてこの場に居ることが出来るのです」

王、看守に向かって手を上げ、下ろす。看守、姫の言葉に戸惑いつつも、刃を落とす準備に取り掛かる。

「私は貴方に嘘を吐きました。ここで懺悔すべくは、私が吐いた嘘。私は、姫などではないのです。貴方を騙したこと、本当に、本当に、心から誇りに思います。ええ、どうか、貴方が幸せでありますように。私は姫などではございません。私は、全てを騙し、演じ切ったのです」

刃の落ちる音と共に、勢いよく赤い幕が下りる。何かが滴り落ちる音がする。馬の蹄の音が近付き、やがてゆっくりと遠のく。

終幕。

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