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自分にとって大切なことが、私のことも大切にしてくれるとは限らんのよ

 自分にとって大切なことって何やったっけ。そう考えて一番に思い浮かんだのは、推しだった。でも、それはすっかり過去のお話。

 何にせよ、推しが全てだった。推しさえいればマジで何もいらんし、自分に金かけるなんて勿体ないことはよぉせんとまで思ってた。推しは、私が今欲しいもんを全部くれた。ときめきとか、尊敬とか、励ましとか、言い出したらキリが無いくらい色んなものをくれた。そりゃ向こうは私の顔すら知らんけど、それでも確かに私は人生において大事なもんを貰ってた。推しは誇張なしに命の恩人。

 そんなに推しに入れ込んでたくせになんでそれが「過去の話」になったかって、推しが推しじゃなくなってしまったからに他ならない。私の推しは数年前に、推しグループから脱退した。脱退しても同じ人なんやし応援したったらええやん、って多分みんなは思うやろうけど、私はそれが出来んかった。心が狭いから。何せ心がとてつもなく狭いから。推しはあのグループにいたから「推し」だった。もうただ、その一言に尽きる。

 人生を賭けて大事にしてきたものがすこんと無くなった時、人は完全に抜け殻になる。現在進行形、私がその例。
 何のために頑張ればいいのかマジで分からん。どこを目指せばいいのか、道標が無い。これまでは、推しに貢ぐために仕事に行って金を稼いでいた。推しについてるファンがキモいと思われたら嫌やから、見た目もマシにしようとした。推しのライブがあるから、ドラマがあるから、DVDが出るから、生きていた。その生きる糧自体が無くなってしまったもんやから、生きている意味そのものが消えてなくなった。泡沫、っていう言葉が似合いすぎるくらい、あっけなくシャボン玉が割れるみたいに、生きていく意味が消えた。まあそんな洒落た表現使うような場所でもないけど。

 それでもなんか知らんが、人は生きていかなあかんらしい。生きていく意味がないまま、だらだら人生の時計だけが進んでいく。これではあかんと思いつつ、新しい「推し」を作る気にもならん。だって、人間いつ裏切るか分からんってことが証明されてしまった。永遠なんて無いから、いつか森羅万象無に帰るってことが立証されてしまった。それを悟ったうえで何かにハマるの、至難の業すぎん? 私は無理。終わることが確定している何かに、全身全霊かけて陶酔するのはもう無理。私は出来る限り、ふわふわした夢の中で生きてたい。ふわふわした夢の中で馬鹿みたいな顔して浮遊してたかっただけやのに、急に現実突きつけられるなんて経験、もう二度としたくない。

 何にもハマれない体になってしまった私は、何を大切にして生きていったらいいんやろう。推し卒を機に、そう考えてみた。で、結論を出した。
大嫌いで仕方ない自分を、大事にしてみたい。

 根っからのアイドルヲタクの私は、推しみたいなキラキラした完璧人間ばかりを見てきた。その上、とにかく何でも人と比べてしまうという癖を持ってる。だからどうしたって「私」という人間がすこぶる嫌い。見た目もクソで性格もゴミ、私だったら絶対に友達にしたくないタイプなのよ、私。でもなんか人類はよく言うやん。「自分を大切に」とか、「自分に優しく」とか、「自己肯定感高めろ」とか。私にとっては不可能なことなんよ、それ。嫌いな人間にわざわざすり寄っていく人間が少ないのと一緒で。私も自分が嫌いやから、自分と触れ合いたくないし自分の機嫌取りとかしたくない。キモいし。
 でも、一般的に見た時、やっぱりこの世に生を受けた以上、なるべく長く生きた方がいい風潮なのには気付いていた。この大嫌いな体をどうにか生き永らえさせていた推しが消えた今、己の体を引きずって歩くのは、紛れもなく己しかないんよね。

 自分を好きになるってどうするのか、さっぱり見当がつかない。考えたことも無かったから。完全に手探りの状態で、私は今、「自分を好きになろうと努力する」という一大プロジェクトを立ち上げている。

 どうやったら自分をマシだと思えるのか。それを考えるにはまず、「自分のどこが嫌いなのか」を具体的に分析せないかんなと思い立った。嫌いなとこなんか際限なく出る。百個でも二百個でも言える。それを一個一個上げて、その一個一個を潰していけば、少しずつ「自分の好きな自分」になっていくんやないかと。そういう魂胆。

 まず目を付けたのは、見た目。もうとにかく鏡に映る自分が嫌い。
 じゃあなんで鏡に映る自分が嫌いなのか。めちゃくちゃ嫌やったけど、まじまじと鏡を見て考える。スタイルが悪いからかな。とにかく胴が長くて、足が短い。くびれもないし、手首も足首も無い。
 と、いうことは。痩せれば少しマシに見えるんじゃなかろうか。
 そう思ってから半年、ずっと筋トレを続けてる。ストレスでビール飲みまくって激太りすることもあるけど、全体的に見て体は締まってきた。メリハリのある体に、一歩近づいた。

 多分こういう成功体験を積み重ねていけば、おのずと自分をいとおしく感じる瞬間はあるんやろうなと思う。
 推しを卒業して、丸二年。三年目に突入した私はこれから、試行錯誤しながら「私」を大切にしてみようと思うよ。

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