駄目人間、もがく「二十九、三十」

メンタルが終わってるので、お手本のような曲でお手本のように泣くことがある。別に何の曲で泣こうが笑おうが大人なのでどうでもいいやないかと思うけど、SNSどっぷり女はお手本のような曲で泣くのは何となく恥ずかしいことな気がしてしまう。「この曲で泣いてる奴w」みたいにどっかに晒されてしまうんやないかと、要らん心配をしまくってしまう。ていうか、音楽で泣く奴を馬鹿にする権利なんて誰にも無いんやけどな。音楽ってのは人の心に響くように作られてるもんなので。この発言も「顔真っ赤で反論w」って言われそう。キモいな、インターネット。


クリープハイプの「二十九、三十」って曲がある。

クリープハイプの曲は、ありきたりな言い方やけども本当に歌詞が良い。上手いこと、心の隙間のちょっとしたとこを突いてくる。それがよわよわメンタルの時はめちゃくちゃに効く。

ちゃんと自分のことは「駄目な人間だなぁ」と思いながら生きてきたつもりやった。でも、まさかこんなに駄目だとは思わんかった。まだ少しだけ自分を信じていたとこあった。でも、自分の思ってる以上に自分は駄目なヒューマンやった。


この「二十九、三十」っていう曲は、
「いつかはきっと報われる いつでもないいつかを待った もういつでもいいから決めてよ そうだよな、だから『いつか』か
 誰かがきっと見てるから 誰でもない誰かが言った もうあんたでいいから見ててよ そうだよな、だから『誰か』か」

っていう歌詞から始まる。
結局、「いつか」は来ないし、「誰か」もいない。その簡単な希望だけを見てやってきたのに、現実は希望なんか無くって、根拠もない。ただ人間が死なないために目の前に吊り下げられてただけで、一生手には入らん。

二番では、
「何となく残ってみたものの やっぱりもう居場所はない」
って歌詞がある。
私も何となく残ってるだけかもしれん。やめられないから、やめられんとこまで来てしまったからやめてないだけ。本当はやめた方がいい、やめるべきなのかもしれないのに、やめられないからまだこんなどうしようもない文章を書いたりしている。でももう既に居場所なんてない。私の元々仲良かったフォロワーさんは、もう大半がTwitterにおらん。現実が充実したのか、それとも別の界隈に移動したのか分からんけど、もう随分みんないなくなった。

「もしも生まれ変わったならいっそ家電にでもなって
 空気清浄機とかなら 楽してやっていけそうだな
 何も言えずに黙ったまま 空気を読んだ振りをして
 遠くから見てるだけの俺みたいだし」

ここで空気清浄機出してくるのすごくない? 歌の歌詞で「空気清浄機」が出てくる曲、他にあんのかな。この具体例一個あるだけで、リアリティがぐっと増しすぎる。私もなりたい、空気清浄機。「空気を読んでる」という言い訳の元、ずっとどこのグループにも属せず、誰の話にも入れないような人間は、空気清浄機がお似合いかもしれない。「清浄」出来てるかは分からんけど。

でも、この曲ネガティブな曲じゃないのよ。こんな歌詞やけど、サビが全然ネガティブじゃない。
「あー なんかもう恥ずかしいくらいいけるような気がしてる
 ずっと誰にも言わなかったけど今なら言える
 明日の朝恥ずかしくなるいつものやつだとしても
 ずっと今まで言えなかったけどサビなら言える」

どうせ根拠のない希望で今まで動かされてきたんやったら、根拠のない自信で動いてもええやろって思わせにくる。「なんかいける気がする」で動いても別に構わんやろって言いに来る。これがズルいんよなぁ、この曲。

いけるような気がする、で動いて何も起こらんかもしれんのよな、結局。でも、何か起こるかもしれんのよ。根拠はないから、誰のことも責められん。
私が今やっとること、もしかしたら全部間違ってるかもしれん。でもまあ、根拠ないから、しゃあないよね。上手くいく保証もないままここまで来たし、間違っててもしゃあないのよ。しゃあないのはしゃあないんやけど、やっぱり、「いつか」を待ってしまう。抜け出せやしねえ、このスパイラル。

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