狼に翼を#4‐2:恋

少年。上手側より登場。

少年「もう二度とこんな真似はしない、だと?  そんなことが出来るほど、利口で真面目な羊飼いではないのだ。あの嬉しそうなお声をもう一度聞くだけで、もう一度あの嬉しそうなお顔を見ることが出来るだけで! 僕はそれだけで幸せになれるだろう。いつか憎き王をこの手で始末すると決めたこの邪悪な僕の心に、あのお方はほんの少しの安らぎを添えてくれた。まるでこの野獣の心の中に、まだ人の心があるかのように感じさせてくれる! きっとそうだ。僕は恋をしてしまったのだ。あんな美しい涙と、あんなにも臆病に震えるお姿を見ては、恋に落ちぬ方が馬鹿だ。父上を残虐に殺した王の羊など、どうなっても構わないというのに!」

少年、鞭棒で床を叩く。大きな音が鳴る。

少年「もう我慢がならない。こんなことをしている場合ではないのだ。勇敢であれ、忠実な羊飼いよ! 同じ故郷を後にした仲間より、こんな仕事の方が大事なことがあろうか。いや、たとえこの仕事を失い、この命を捧げたとしても、救わねばならぬ人がいるではないか。腐った者の敗北より、麗しき者の勝利を。邪悪な者の死より、正義の生を!」

少年、鞭棒を放り出し、上手側に退場。

---

少年、姫、看守。姫、中央扉より登場。看守、上手側より登場。

姫「重い鎖は私の心臓を締め付けてやみません。騒乱の音が、私の眠りさえ追いやってしまいました。今でも耳に残るのは、叫び声と泣き声、破壊と圧迫。何人もの人々が、私に手を伸ばしました。私はそれを見捨てたのです。母の亡骸を抱き抱えた少年も、体を引きずる老人も、全て私は見捨てたのです。ただ私はその中で、どうかあの人が生きているようにと、それだけを祈っていたのです」

少年、上手側から走って登場。

少年「ああ、どうか、どうか助けてください!」

看守「お前はあの羊飼いではないか。一体なんの用だ。俺は忙しい。煩わさないでくれ」

少年「今度こそ、今度こそ本当なのです。狼が出て、私に襲いかかろうと致しました。ご覧下さい、慌てた無能なこの羊飼いの手に、鞭棒はございません。羊たちが食い荒らさられるのを、私の腹がかき裂かれるのを恐れて、大事な武器まで放り出し、命からがら逃げて参ったのです」

看守「お前のその手には乗らん。そうやってまた俺を騙そうとする。お前の嘲笑う顔が目に浮かぶようだ」

少年「どうか信じてはいただけませんか! 本当に、本当に狼が歩いてくるのを見たのです。今頃羊は逃げ惑い、柵は倒されていることでしょう。どうか、どうかお助け下さい。王の大きな損害のためにも!」

看守「お前は口が上手すぎる。それが気に食わないのだ。私も王の怒りの矛先を目の前に突きつけられるのはごめんだ。いいか、絶対にその場を離れるな。どこにも行ってはいけないぞ。今度嘘だと分かれば、どうなるか分かっているだろうな」

少年「もちろん、もちろんでございます」

看守「お前もいつか、処刑台の上だ。いいな」

少年「心得ております」

看守、疑わしそうな目をしながらも走って上手側へ退場。

少年「……馬鹿め! あの頭の足りない看守め、また僕の言葉をまんまと信じやがった。しかし今度こそ命は無いかもしれんぞ。どうにか逃れる方法を考えねば。それよりも大事なのは、暗い牢の中から心を救い出すことだ」

少年、上手側階段を駆け上がる。

少年「姫君、姫君、聞こえますか」

姫「なんということ、まさかまたそのお声を聞くことになるなんて! 私はここにおります。大きな危険を冒した貴方を、咎めるどころか褒める私をお許しください」

少年「貴方は褒め称えられるべきお方です。たった一人この場所で、我が国を背負って立っておられるのです。全ての国民が貴方を褒め、笛を吹いて貴方への歌を奏でるのです。ご覧下さい、ここに柔らかな花があります。まるで貴方のように健気で、風にも折られず立っています。これは貴方のためにあるのです」

姫「貴方は強いお方です。たった一人の私のために、命も顧みずここにいるのです。どうか教えてください。貴方の心に住む獅子は一体どこからやってくるのです」

少年「砕かれた祖国からです、姫君。それと、私が想う人々から」

姫「貴方のような方に想われる方は、きっとこの世界で一番幸福です」

少年「私が想う人々、それはまず打ち砕かれた祖国の仲間たち。そして、あの騒乱の中引き裂かれてしまった妹、そして貴方です。私は貴方を助けるまでは命を砕けず、妹を見つけ出すまではこの身を滅ぼすことが出来ないのです」

看守の大きな足音が聞こえ始める。

少年「あれはもしかすると、私を地獄へと誘う魔王の足音かもしれません。どうかお元気で。私はもう行かねばなりません。しかし、私は貴方を決して見捨てません。必ず、必ずここから助け出します。私と共に逃げるのです」

姫「そのお言葉だけで十分です。魔王の怒りが貴方に向かぬことをお祈りしております。幸運が貴方と共にあらんことを」

少年、上手側階段をかけ下りる。同時に看守、上手側より走って登場。

看守「おい、狼などどこにもいなかったぞ。いるのは欠伸の出そうな羊だけだ」

少年「……馬鹿な看守め! また引っかかったな! こんな滑稽な姿を二度も見れるだなんて! 面白い! 面白い!」

看守「いい加減にしろ! 先程俺が言った言葉を覚えていないわけではあるまいな。お前は今日牢獄行きになろう。さあ来い、今日お前は羊に囲まれて眠るのではない。お前を取り囲むのは王の怒りと冷たい床の恐怖だ」

看守、少年の首を捕まえ、上手側へ引きずって退場。姫、中央扉より退場。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?