まじめ警察24時
今回は私が常々、発信してきた「真面目に生きること」について書いていこうと思います。
突然ですが、みなさん「まじめ警察」になっていませんか?
日本人のことを海外の人に質問すると「勤勉で働き者」というイメージがよく語られます。
「日本人はなんであんなに働くんだい?」
それが、彼らにとっては疑問で仕方ないようです。
私も、そう問われて「確かに何故みんなこんなに一生懸命、働くのだろう?」と疑問に思います。
お金が欲しいから?
生活しなくてはいけないから?
仕事が楽しいから?
結局のところ、私たちは豊かになるために働くのだと思います。
戦後の高度経済成長期からずっと、我々は「豊かさ」「利便性」を求めてきたのではないでしょうか。
しかし、時代の変化と共に「豊かさ」「利便性」が満たされ始めると、今度はもっと自分たちにとって価値のある物を作ろうとする。
それが進化の過程の中で必要なことであることは間違いありません。
ですが、もっともっとと求めて行くうちに「物質的な豊かさ」なんて通り越して、
「真面目に働くこと」が美徳として説かれるようになったように感じます。
この「真面目に働いていない人間はダメだ」という考え方に私は強い違和感を覚えます。
それこそ、「まじめ警察」じゃないか!
24時間、まじパト(真面目に働いているかどうかパトロールすること)されてちゃ息も詰まるわ。
問題は「誰が」という特定の人物が起こしている問題ではないこと。
つまり、まじパトは社会現象だと言うことです。
雇用主が労働者を管理する。
そんな簡単な話ではありません。
病気でも風邪や少々の熱なら出勤。
台風でも電車が動いていれば出勤。
残業はして当たり前だし、転職はキャリアアップではなく逃避。
誰がこんなこと決めたのでしょう?
「真面目でなきゃいけない」というのはもう洗脳に近いと思うのです。
国のために命を捧げるのが愛国心の時代はもう終わりました。
その代わり、我々はこの国に自分の生きる場所に絶望して命を捨てるようになりました。
コロナウイルスで亡くなる人より自死の方が多いなんて変だと思いませんか?
若者が夢を持てないなんて一括りにはできませんが、夢を持っても握り潰される現実は確実にこの世の中に存在します。
いや、夢だけじゃない、生きる気力自体を削ぎ落とされている感覚を私はひしひしとこの世の中から感じるのです。
人間は社会集団のなかで生きていく動物です。
集団のなかで生きると言うことは、「お互いに監視しあう社会」でもあるのです。
人の目は安全のための抑止力にもなります。
犯罪心理学に精通しているわけではありませんが、少なくとも私たちが協力して社会を守り、生きていることは間違いありません。
しかし、人の目が抑止力になるとするならば、その矛先が変われば抑止力が排他的圧力になることもあるのです。
SNSが発展してからは一気にその風潮が増したように思います。
みなさん、「まじめ警察」になっていませんか?
実際、私も「まじめ警察」になっていることがあります。
「何で私は〜しているのに、あの人は〜しているんだろう」
例えば自分がルールを守っているのに、それを破っている人がいたら何だか釈然としない気持ちになりますよね。
マナーや常識がない人に出会うと、ついイライラしてしまいます。
マナーやルールを守ることは、みんなが気持ちよく暮らすためには必要なことです。
注意されて気づくこともあるし、そこからもっと良くなることもある。
しかし、まじパトが行き過ぎると、自分の心が蝕まれていきます。
自分の心より、他人の行動に反応し他人を批判することに注力してしまうのです。
私が言いたいのは、「それって疲れませんか?」と言うことです。
他人に無関心でも過干渉でも上手くいかない。
本当に人間てやつは生きることに苦労する動物です。
けれど、もし自分が「まじめ警察」になっているかも…と思ったら
案外それは、自分の心が疲れているからかもしれません。
本当は心がはち切れそうになっているあなたがいるのかもしれません。
ひたむきに頑張ってきた真面目なあなたがいるのかもしれません。
心についた傷は他人には見えません。
でも、心についた傷を守るために他人を攻撃していることだってあるのです。
完璧な人間なんていません。
みんなよく見せたくて強がっているだけなのかも…
だとしたら、「まじめ警察」は心のSOSかもしれませんね。
人間、適当に生きるぐらいがちょうど良い。
心が疲れているなら、傷ついているなら、まずはその心を癒すことから始めればいい。
そうしたら、イライラもスカッと解消できる名案が浮かぶかもしれませんね。
まじまじめでした。
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