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運命のプランシングホース(4)

【戦い続ける跳ね馬】
日本人はどこでイタリア人を学ぶか?サーキットに群居するフェラーリの大応援団、巨大なカナリア・イエローのフラッグを振り回し、声の限りごひいきの赤い車を応援し、ライバルを早口で口汚く罵る。
F1を見たことのある人なら“ティフォシ”と呼ばれる彼らから、イタリア人というのはこんなにも熱い人々だと教わったことはないだろうか?

そのうちフェラーリはさらに特別な存在だと気づく。
アルファロメオやダラーラに母国のイタリア人が乗ってたとしても、フェラーリに乗るイギリス人やフランス人の方がはるかに人気があるのだから。
エンツォ・フェラーリが生み出した最大の成果は成績でも、記録でもなく、この圧倒的な声援であろう。
それは40年に渡る戦いの歴史。勝ち続け、それ以上に負け続け、それでも闘うことをやめなかった情熱の赤の物語である。

そのデビューの衝撃は群を抜く。
フェラーリは数年で考えうる栄誉のほとんどを手にしている。最初の本格レーシングカーといえる166MMは再開された1949年のル・マンでいきなり優勝を手にしてしまっているし、52、53年にはF1でアルベルト・アスカーリが、早くも連続で年間チャンピオンに輝いている。
「私は自分の母親を殺してしまった。」
エンツォが元在籍したアルファロメオを新設計のV12エンジンで破り、この骨肉の戦いを制した時エンツォが吐いた言葉だ。
その後、アルフレッド・ノイバウアー率いる無敵の巨人メルセデスが自らの“機械文明”に溺れて自沈するのを横目で見ながら、フェラーリはF1、GTレースの世界で50年代黄金時代を築く。フェラーリ250やフェラーリ・テスタロッサはこの時代のスポーツカーだ。

そして、本当の敵は新大陸からやってきた。(続く)


フェラーリ250GTO 250という数字は一気筒当たりの体積。250cc×12=3000cc 、排気量は3リットルということになる。GTOはグラン・ツーリスモ・オモロガート、レース用に登録された車両という意味である。フェラーリが得意とするサーキットとロードカーの間にあるクルマ。GTOは多分みんな好きだ。

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