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過去への望遠鏡(後編)

宇佐八幡は私も実際にいったことありますが、でかい神社ですね。八幡(はちまん)と名前のつく神社の総本家だそうです。
祭られてるのは応神天皇、そのお母さんの神功皇后、そして比売大神の三神。
神功皇后は新羅遠征をやった人。応神天皇は15代天皇、諸説ありますが大きな古墳で有名。八幡というのはこの応神のことなんですね。
大きな古墳は大きな権力を意味するであろうという事で、応神の権力とは何だったのかと考えてみますと、一つは農業の支配。それは農業土木であり、自然科学(気象や暦)への通暁、あとは本当に祭祀を司る事。自然科学も祭祀も当時は渾然一体となってマジカルな匂いを醸し出していたでしょう。
そして海外からの青銅器・鉄器そして馬を持ち込むことだったと思います。これは武器であり、農具ですね。鉄は、剣になれば必殺の斬れ味であり、鍬になれば土を深く掘れる。人間の効率を高める最強の道具の素材なんです。
神功皇后の海外遠征を機に大量に朝鮮半島から渡来した人々の力を背景に以上の条件を同時に手中にした男、それが応神だったと思います。
彼は九州に生まれ、東征を行い、畿内で死んだ。東征というと初代の神武もありますが、大規模な東征が馬や武器が充実する応神の時代以前にできたとは考えられません。応神の記録を神武に転用した可能性が高いです。
巨大な古墳を作る理由は、そこが支配して間もない場所だったからです。威光を示す必要があった。つまり彼が最初の(王朝を作った)天皇なのです。最初の天皇としては、第10代の崇神が可能性が高いと言われてます。彼は実在の支配者だったかもしれませんが、現在の天皇家との繋がりということで言うと最初は応神ではないかと思います。

長々と語りましたが、だから応神が、その発祥の地たる九州の宇佐に特別に祀られているのだと思います。つまり「宇佐八幡神託事件」に登場する平安時代の子孫たちはご先祖様のいうことを聞くという当たり前のことをしていたのです。

するとそれ以前の血脈は作ったということになります。きっとそれ以前にもヤマトの地に地方政権はいくつかあったのです。天皇家はどこかの段階でそれらを全部繋げて万世一系としたのだと思います。たぶん私と同じで、人々はひいじいさんくらいまでしか覚えてなかったでしょう。王朝の正統を血脈に求めるあたり、天命に求める中国と日本の民族としての根本的な違いを感じますが、本当の所、なぜそんなことをする必要がどこにあったのかは謎です。

こうして宇佐の神社のことを改めて考えてみますと、気になる点はまだあります。偉大な応神は三神の中央に位置しているではなく左、真ん中は比売大神なんですね。応神はあとで神社に追加されたのです。さらにこの宇佐神宮の建ってる山は明らかに古墳のかたちをしているのです。
この古墳の主である比売大神が卑弥呼だと言う人もいますね。
そうなると邪馬台国は九州にあったのか?卑弥呼と応神、2人の関係は?謎は尽きないわけですが、宇佐神宮は過去に何回か工事で地面を掘り返してますよね。明治時代には棺が出てきた事もあったけど、急いで戻したとか色々な事がありました。
きっと誰かが新しい「過去への望遠鏡」を既に手にしていて、そのうち我々も日本の歴史の秘部が見れる日がくるのではないかと思います。

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