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新連載「ぺちゃくちゃ交換日記」ボツ案

mazecoze研究所のひらばるです。

これから研究員の石田恵海さんと「ぺちゃくちゃ交換日記」というコラムをはじめます。

ぺちゃくちゃ交換日記
-都会と田舎でそれぞれ子育てしながら暮らす、ふたりのワーキングマザーの七転八倒な日常を綴る日記-

なのですが、書きはじめを考えすぎて長文になり(そして日記でもなく)、ボツになった私の原稿がありまして、恵海さんから「ありがとう♡めちゃ泣いたー!(だけど、長過ぎる 笑)」、「編集長noteで、ぜひシェアしたほうがいいよ。もったいないもの!!」と後押ししてもらったので、ここに掲載したいと思います!

企画の経緯も記しているので、コラムとあわせて読んでいただたらうれしいです^^


---ここから---

恵海さん、いつもありがとうございます。
先日、恵海さんからもらったメッセージ↓

maze研でひらばるさんとわたしの交換日記しない?
ひらばるさんのいる都会と、わたしのいる田舎、仕事の違い、子どもの性別の違い……などなどで見えるものの対比が往復書簡によって、より浮き彫りにならないかなと思ったのでした。

うれしくて泣きそうになりました。
なにがうれしかったって、恵海さんがmazecoze研究所でこれしようよって言ってくれたこと。
それから交換日記という懐かしい響きが迫ってきて、実のところ企画を読み込まずにふたつ返事で「!!!それ、めちゃ素敵! ぜひ、お願いします!」とお返事したのでした。

恵海さんと初めて出会ったのは10年ほど前。
当時私が勤めていた会社に打ち合わせで来社した恵海さんを、玄関でお迎えしたときでした(覚えてますか?笑)

恵海さんは雑誌の編集・ライターとしてずっと前から独立してキャリアを積んでいて、さらには三軒茶屋に「Restaurant 愛と胃袋」を開業したところでした。
そして胸には、生後数ヶ月の小さな赤ちゃん。

当時、私の周りに起業やフリーランスという働き方をする人はほとんどおらず、さらにはハハで自営業でという人もほぼいませんでした。恵海さんが醸し出す「なんかこの人違うぞ」という空気感を、ドキドキしながらただ眺めていたのを覚えています。
その後、自分も独立することになろうとは!

フリーランスになって、ソーシャル・デザイン・プロジェクト「PRe Nippon」を立ち上げた後、福祉事業所さんと作ったプロダクトをいち早くお店に取り入れてくれたのも恵海さんでした。ファミリーでモデルもしてくださり、「愛と胃袋」で撮影したのは忘れられない思い出です。

愛と胃袋」は、特別なお店です。
ウェルフェアトレードやオーガニックといった、ものの背景にある物語にこだわって、生産者さんとの対話を大切にしながら、すべてのつながりのなかでお店を経営されていて。そして何よりおいしい。
産後の断乳直後、数年ぶりのアルコール開きの日。愛と胃袋で昼から仲間とワイン4本開けてどろっどろになったのは至福の思い出です。あのときはすんません(笑)

それから、私も結婚式でウェルフェアトレードの引き出物を作ったのですが、そのずっと前、一番はじめにそれを実行していたのも恵海さんご夫婦でした。

hikidemonoのコピーのコピー


改めて思うと、恵海さんは私の人生のロールモデルなのですよね。
だから、いま何が恵海さんの瞳に映ってるのかなっていうのは、とても興味があります。

2016年、オーベルジュを開業するため山梨に移住されたと聞いたときには「mazecozeで移住開業コラムを書いてほしい!」とお願いし、「山梨移住でつくる暮らしと仕事」がはじまりました。時折読み返していますが、ときどきに心揺さぶられるポイントが変わったり、ずしんと響いて。いつもありがとうございます。

そして2019年、mazecoze存続の危機(笑)
私が新たな形で運営していけることになり、研究員のみなさんにもそれを伝えるべく、山梨に向かったとき。
話を聞いていた恵海さんが、突然わっと涙を流して「よかったね。ほんとによかったね」と言ってくれて……。もー堪えきれず、私も我慢していたもの大放出でした。
それまでの過程はとても辛かったし傷ついたし心細かったけど、こんなに思ってくれている人がいるんだと、どんなに心強く、勇気づけられたか。
mazecoze研究所の価値について、考えはじめるきっかけにもなりました。

mazecozeの研究員に参画してくださって、今年ではや4年。
恵海さんとの変化する関係性のときどきに刺激をいただいています。
そんなこんなからの、恵海さんからの交換日記のお誘い。そりゃ、やらないわけないです!

少し落ち着いて、恵海さんにいただいた企画について考えました。

いま私は都会(東京)に住んでいるけれど、出身は愛媛の自然豊かな「田舎」と呼べる地域です。
転勤族だったのでそこで暮らした期間は短く、東京に出てきて暮らしている時間の方がはるかに長くなりました。でも、いまも私は自分を愛媛の人だと思っているし、都会に住んでいるだけで都会の人ではないという意識が強くて。

都会(東京)って、私みたいないろんなふるさとを持つ人が多く集まる場所だと思います。路線が違えば環境ががらっと変わるほど地域性も多様で、同じ都会はないし、もちろん同じ田舎もない。

だから、私たちの対比から見えてくるものは私たちだけのものなんだろうな、と。
その前提で、気づいたこと、浮き彫りになったことをおもしろがれたらくらいの気楽さでこの日記をはじめられたらと思います^^

交換日記ってどんなだったっけ? と振り返って一番に思い出したのが「Dear ◯◯」という定型的書き出しでした(笑)

Dear 恵海さん、これからよろしくお願いします!

いただいたサポートは、mazecoze研究所の取材、制作、コラムニストへの謝礼に使わせていただきます。