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あの頃の東京

2回目の就職活動をしていた頃、都内に住む高校時代の友人Nの家に居候させてもらっていた。御徒町のマンションの部屋は1Kなのに玄関から部屋まで妙に長いL字の廊下があった。「会社で飲み会があって帰ってくるとさ、いつもベッドまで辿り着けずにここで寝てしまうんよね」と笑っていたのを見て、社会人って付き合いも大変そうだなと思ったのを覚えている。

1回目の就職活動ではある銀行に内定をもらっていた。長崎の田舎町で文系学生が就職するには、公務員になる以外では手に職をつけるか、大企業の地方職か保険営業か零細企業か、あとはジャパネットたかた(佐世保本社)くらいしか選択肢がない。「見てくださいこのボディー!」みたいなこと言うのもなんともなあと思って銀行を受けると、何の間違いかするすると選考を通過してしまった。安定志向の両親はニコニコだった。

大学へ期末試験を受けに行く道中、バイクで事故をした。トラックがカーブで膨らんできて、私はちょうどその外側を走っていた。あぶなっ!と思って避けると目の前がガードレールで、そこからスローモーションで世界が動いたところまでは覚えている。入院中に試験も再試も終わっていたので、あっさりと留年が決まった。直接の原因は事故だったが、大学4年になってもたくさん単位を残している方がよっぽど悪い。別に不運なんてものじゃない。

それからの実家の暗さったらなかった。母は胃腸の調子を壊し、父からは厳しいメールが何度も届いた。メールがくるたび胃の中の塊がズシンと重たくなり、それが半年間くらい続いた。2回目の就職活動で東京に来たのは、一度受けたところを受け直しても意味がないだろうというのは建前で、家から逃げたいというのが本音だった。

東京でNは「社会人の飲み方を教えてやるよ」とまだ新卒1年目のくせに先輩風を吹かせて私を飲みに連れ出した。立ち食い寿司を食べ、オシャレなバーでミントをぐしゃぐしゃ潰しながら飲むモヒートやら、ショットグラスのウォッカに火をつけそれをギネスビールに沈めるやつやらを楽しそうに飲んでいた。全然おいしくない。ビールか日本酒か芋焼酎をだせ。

高校時代からNは意識高い系とかナルシストとか周りに揶揄されることがあったけど、相変わらずNは壮大な夢の話ばかりする。当時はまだブロックチェーンという言葉もなかったが、金融工学のことをくどくど話していた気がする。私はそんなことはどうでもよかったが、居候させてもらっている手前追い出されるわけにはいかないと適当に相槌を打っていた。ただ東京のバーで聞くNの話は少し現実的に聞こえるのが不思議だった。

最後にやたら外国人客が多い飲み屋さんでNが呂律の回らない英語で初対面の人と盛り上がっているところをぼーっと見て、千鳥足のNをなんとか家まで連れて帰るとNは案の定玄関で寝た。高校時代より明らかに太った体をベッドまで引きずりながら、こんな飲み方するからやんけ、と思った。

何かの怪獣のようなNのイビキを聞きながら、銀行の内定者だった時、若手の行員の先輩たちと飲んだことを思い出した。アドバイスを聞くと「今のうちに遊んどきなよ」とばかり言われ、それを自分でネガティブに解釈していた。証券外務員試験のテキストも大学の眠たい授業となんにも変わらないなと感じていた。つまり、銀行員になりたいと思ったことは一度もなかったのだった。

東京に行けば何者かになれるというのは、嘘だ。それは、インドに行けば自分が見つかるというのと似ている。インドで自分が見つかるのなら、インドの空港はブッダだらけだ。たぶんインドの寺院で修行してガンジス川でお腹を壊して食事にたかる虫も貧困も全て乗り越えて何らかの真理を悟っていく人もいるんだろう。知らんけど。東京で就職活動をしても、バーで夢を語っても何者にもなれない。ただ、何者かになりやすい環境があるのは事実だと思う。

私はこれまで受けたことのなかったクリエイティブな業界を受けることにした。就職活動でわくわくとしたのはここが初めてだったかもしれない(失礼)。親から期待されていた道ではないところにのしのしと分け入っていく感覚があったが、わくわくする仕事を見つけると胃の中の塊が少し軽くなった気がした。まあせっかく拾った命だしいいっしょ?みたいな発想になると人は強い。

ある日、AKB総選挙というのがあっており、前回2位だった前田敦子がまた1位に返り咲いた。特にAKBが好きというわけではなかったが、近所だったのでNと選挙が終わった後の秋葉原を歩いた。AKB劇場の前にカメラは来ていたけど、思ったより人は少ない。本格的なファンはみんな武道館にいたんだろう。AKBのグッズなどを見て、帰ろうとすると急に雨が激しく降りだして、雨宿りがてらメイド喫茶に入った。雨宿りにメイド喫茶ってなんちゅう街やねん、と思った。

あれから10年以上経った今、私は東京で働いている。それなりに荒波に揉まれて転職もしたし、結婚して親になった。親の言うことは裏切ってきたし、東京で何者になったとも思っていないが、両親に定期的に家族の写真を送って自分なりに楽しんでいることをアピールしている。

最後にNの名誉のために書いておくと、Nはあれからインドに海外赴任し、転職し、いよいよ自分の会社を立ち上げた。ついに夢を叶えたところは本当に尊敬している。インドで何か見つけた?と聞いてみたことがあるが、スパイスからつくるカレーが作れるようになったよ!とのことだった。Nの取り上げられた記事を見るたび、どんどん太っていくところだけどうにかすればいいのに、と思っている。

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