見えないラベル (前編)・後編・終編

6月14日(日)
「陽性」
たった今、スマホに連絡があった。
まさか私がと思ってしまいそうなところだが、もしかしたらというのはあった。
夫(順次)が陽性だったから。

私の名前はさやか。順次の妻で2児の母。
子供たちが陽性ではなかったことは幸いだった。
保健所の女性職員さんの説明を聞き終え、スマホを机に置いた。
たった今、明日から10日間、区が用意したホテルに泊まることが確定した。
夫の居るであろう部屋の扉を見つめながら、大きなため息が漏れた。
夫にぶつけたい言葉がつぎつぎに込み上げてくるのを感じながら奥歯をぐっと噛んだ。

話は少し前にさかのぼる。
舞台は夫の会社がスタートになる。

6月9日(火)
私は順次、先ほどのさやかの夫である。
緊急事態宣言も明け、私の会社は交代制で出勤することになった。
都内にある社員53名の事務機器を販売する会社に勤めており、営業課長職にある。
この日は、若手課員の誘いで出勤者の一部で飲みに行くことになった。
もちろん簡単に決まったわけではない。上役の了承を得るのに少し時間がかかった。
同年代の40歳男性、30代の女性、23歳24歳の若手男性、事務の女性社員と私の計6名。
マスク着用、手指の消毒、きっちり対策してくれる店を選んだ上で、
お話は控えめに、少しだけ、1時間程度でおひらきとした。
短い時間だったが、みな久々の飲み会に満足感があった。

6月10日(水)
問題が起きた。
事務の女性社員が熱を出して休むと連絡してきた。
今思えばこれが事件の発端だとわかるのだが、当時はまだそこまで重要視していなかった。
みんなある、年に何度かの体調不良だと思ってしまっていた。
他の課員は何ら変わりなく、いつもの一日が過ぎようとしていたから。

夕方、1本の電話が入る。事務の女性社員からだった。
「課長、病院に行きました」
「熱は下がりましたが、念のために肺のレントゲンを撮り、検査を受けました」
「検査の結果は明日になるとのことですが、肺炎の症状は見られず、大丈夫でしょうとのことでした」
大事を取って、明日は休むことにしようと決めた。

6月11日(木)
朝11:00を回ったころ、休んでいる女子社員から連絡が入った。
明らかに雰囲気が違うとすぐにわかった。

「課長…」
「私、陽性でした…」
「さっき病院から連絡があり…」
「もう、私、どうしたらいいのか、わかりません」

可能性があることは分かっていたが、正直驚いた。
昨日の医者の所感で、大丈夫だろうと高を括っていたのもあるが、まさかである。
私も焦っていたのだろう、かけてあげる言葉が浮かんでこない。
「まぁ、気にしないでください」
こんな言葉しか出てこなかった。
区の保健所から連絡が入ったので、また連絡すると言って彼女は電話を切った。
熱もなく、身体はなんの異常もないと言っていたので、
この時はまだ、それほど重大なこととは捉えていなかった。

このあと、意に反して事態はスピードを上げて深刻さを増していく。

(続く)


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