大学受験は辛いようで幸せだった
大学入ってから、受験期って幸せだったんだなって思うんです。
高校3年の時はひたすら第一志望に向けて勉強漬けで、勉強以外のことを考える時間の方が少なかった。自分の成績に一喜一憂しながらも、成績上げるためにどうすればいいのか必死に考え続けて、計画→実行→見直し→改善を繰り返して着実に力がついていくのを感じて。
自分含め周りの人たち(友達、先生、家族)が受験を全力でサポートしてくれて。(本当に環境に恵まれていたと思います)
ただ勉強をやっていればそれだけで生きている心地がしたし充実した日々を送っているという実感がありました。
ひたむきに一つの目標に向かって努力できたあの時間は、辛かったけれど今思えば貴重だったなと。
大学生活では、そこそこに勉強をして、そこそこにサークルにコミットして、そこそこな人間関係が構築され、
まあ楽しいんだろうなとは思うし、以前ほどのストレスは感じません
ですが、目標は見つからない、興味もそこまで強くない、全てがそこそこなので何かに情熱的になることもない、向上心もない
「何かに熱中すればいい」なんていうけれど、その何かが見つからない
全てが中途半端になっている
体裁は良いがどことなく空虚感のある毎日
高校まで、周りの人に「あなたは面白い人だね」と結構な頻度で言われていて
自分でも「私は面白い人間なのだな」なんて思っていましたが
冷静に考えてみると、私には何もない
面白い話もできなければ何か熱く語れるものも持ってない
何か一つでも軸のようなものがあればなと思うけれど、ない
いろいろなことに手を出してどれも中途半端にこなしてきてしまったせいで結果的に何も残っていない
なので面白みはないし人間として浅いのが自分でもわかる
人と話をしていても、私は場が盛り上がるような面白いことは言えないので、自然と一人になる 私の周りには人がいない
自分の考えを語れと言われても自分の考えがない
あったとしても言語化が苦手なのでそれを上手く表せない、人に伝えらえない
こういう話を人にしたいけれど、これを話してしまうと、今まで私のことを面白いと思ってくれていた人が私が実はたいしたことない人間だと気付いて離れて行ってしまうのが怖い
自分がどういう存在で、何を考えていて、何がしたいのかが分からない
受験期が幸せだったのは、そういう根源的な問題から目をそらしても許される状況だったからだと思います。
自分が何をしたいかわからなくてもただ勉強さえしてればいい時期だったから。ある意味思考停止状態でした。
ただあの受験勉強が無意味だったかと言われると全然そんなことは思っていないし、東大に入ったことを後悔することはありません。本当に入ってよかった場所だったと思っています。
社会に出たら「東大のくせに仕事できないんだ」とか「東大女子はかわいげないよね」とかいろんなことを言われるのでしょうが、そのレッテルを貼られるデメリット以上のメリットはあると思います。
これは、東大がどうのこうのではなく、完全に私個人の問題です。
この空虚感は何なんでしょうか。どうしたら何かに熱中したり自分の意見を持ったりできるんでしょうか。